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善光寺から松代大本営地下壕へ
香川からの7名のうち、3名で善光寺の「お朝事(おあさじ)」を狙って宿泊ホテルを出ます。6時に間に合いそうだと思いきや、「夏時間は5時半です」と運転手に言われてがっかり。夏時間があることは、全く知りませんでした。

それならば帰りがあるではないかと思い直し、とにかく読経の始まっている「外陣」へ入ります。「内々陣」からの読経が聞こえてきます。「びんずる尊者(撫で仏)」の頭と首を撫でたりしながら、読経の終わるのを待ちます。

お朝事からのお帰り

今日2回目の善光寺参り

川中島古戦場

そう待たない間に、読経の終わりを告げる鐘が鳴り、本日のご回向(えこう)もこれにてお開きです。聞くと下の石畳へ降りなくても、本殿廊下で、お貫主さまが「頭よしよし(お数珠頂戴)」をしてくださるというので、膝をついて合掌をしていました。本日は男性のお貫主さまでした。前回は、妻と来たのですが、お上人(女性)さまでした。

善光寺は無宗派の寺院ですが、天台宗と浄土宗の山内寺院によって護持されていますので、お朝事もそれぞれの宗派の法要が1回ずつ勤められます。時間はおよそ1時間です。



次に松代の、「大本営地下壕」へ向かいました。私は以前ここの中に入りました。2度目の訪問になります。途中でいろいろ立ち寄りましたが、私は今回はじめて、「大本営地下壕」に近いところにある「気象庁精密地震観測室・松代地震センター」へ行きました。ボランティアガイドさんの案内です。



そもそも大本営(天皇のもとで戦争の作戦をねり、戦争を指揮する日本軍の最高司令部。当時の新聞報道などは、「大本営発表」として嘘の情報までもが国民に伝えられていました。)地下壕というものは、第2次世界大戦の末期、旧軍部は本土決戦の最後の拠点として長野県松代周辺に地下大本営の建設を密かに計画したのです。

なぜこの松代が選ばれたかは定かではありませんが、硫黄島決戦で名をはせた、栗林(くりばやし)忠道陸軍中将の出身地です。三重の盆地で、夏涼しく冬暖かいと言われています。東條英機大将と陸軍士官学校が同期でもあります。

トンネルの入口です。

栗林忠道中将は、映画「硫黄島からの手紙」にも登場し、少し脱線しますが、
翌1945年(昭和20年)2月19日からの硫黄島の戦いの指揮を執る。圧倒的な劣勢の中、米軍の予想を遥かに上回り、粘り強く戦闘を続けるが3月16日、大本営に訣別電報を打電。翌17日、大本営よりその功績を認められ、特旨を以て陸軍大将任官。これは平時とは異なる戦時昇進ではあるが、日本陸海軍中最年少の大将である。その為、栗林の大将任官は訣別電報を受けての進級ではあるものの、死後進級である特進では無い。(フリー百科事典ウィキペディアから)

恵愛学園

栗林忠道中将は、映画「硫黄島からの手紙」にも登場し、少し脱線しますが、
翌1945年(昭和20年)2月19日からの硫黄島の戦いの指揮を執る。圧倒的な劣勢の中、米軍の予想を遥かに上回り、粘り強く戦闘を続けるが3月16日、大本営に訣別電報を打電。翌17日、大本営よりその功績を認められ、特旨を以て陸軍大将任官。これは平時とは異なる戦時昇進ではあるが、日本陸海軍中最年少の大将である。その為、栗林の大将任官は訣別電報を受けての進級ではあるものの、死後進級である特進では無い。(フリー百科事典ウィキペディアから)



敗戦の前年の昭和19年11月11日午前11時から象山、舞鶴山、皆神山で地下壕掘削工事が行われ、終戦の翌年8月までに75%の完成をみた地下壕のことを言います。約9か月の間に、当時の金で2億円、延べ300万人の住民及び朝鮮人が労働者として強制的に動員され、一日3交代徹夜で工事が進められたと聞きました。施工は西松建設です。

その地下坑道の距離は、象山5.9㎞、舞鶴山2.6㎞、皆神山1.6㎞ほどあります。有名であり、かつ多くの見学客で賑わう「象山」は、中学生の団体まで行きます。しかし、
今日行った、舞鶴山(現気象庁精密地震観測室)はほとんど見学者がいません。

この鉄筋コンクリート造の建物が天皇陛下の住居

ここが天皇皇后陛下が疎開するはずのところでした。写真で見るように、この坑道の入り口から、コンクリート造です。象山とは全く異なります。象山は高級官僚の生活執務の空間、ここ舞鶴山は、天皇皇后陛下の空間です。そして地下ばかりではなく地上にも、天皇用、皇后用、宮内省用の鉄筋コンクリート造建物があり、現在は観測所の事務所として使われています。

手前神田川にかかる橋(がくえんばし)を渡ったところに、「こどもの国恵愛学園」がありますが、ここには学習院初等科の校舎があったようです。現天皇が当時小学校6年生であったと伺いました。私の疑問は霧散しました。



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| 社長日記 | 08:04 AM | comments (0) | trackback (0) |
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