全国から946名の塾生が、ヒルトン福岡シーホークホテルに集まっています。福岡塾が開塾して20周年になるそうです。200余名の塾生がこの例会運営のために、連日汗を流したと聞きました。最近塾長例会で流行になっているのは、開催塾の塾生による「合唱」です。このための度重なるレッスンのため、より一層互いが知り合っているようです。
本日の塾長例会はお二人の経営体験発表です。まずは創業55年になる、運送倉庫業の眞鍋和弘氏(福岡塾生)の発表でした。尊敬していた父親の運送会社の専務取締役は次男さんです。大学中退で落ちこぼれ(本人の談)、長男社長と10歳の年の差があり、自分の立ち位置を自覚したような専務さんです。
大阪支店を任されて着任しところで「稲盛和夫塾長」の本に巡りあいました。単身赴任という身軽さから、稲盛和夫塾長の本を読みあさったようです。先輩のすすめがあり、2008年軽い気持ちで入塾されて、それがきっかけで、人員削減トラック数の減を果敢に断行されて、売上ダウンながら利益増を続けています。
ところが思い上がりに気がつき、謙虚に1人の人間として反省し、素直になる。これからの経営目標は、 売上200億円経常利益率10%無借金と言っていました。
それを受けて塾長の言葉です。フィロソフィーの浸透に苦労していることが縷々説明されていましたが、新入社員が次々に入ってきてどうもベクトルが合わないと悔やんでいる。それぞれが固有の考えを持っているのは当然です。
特に目上の人との間では、固定概念をむしり取って脱皮してもらうためのコンパを通じて論戦を挑んで喝破し、議論=フィロソフィーの浸透を図っているようですが、フィロソプィーは日常会話であって、中堅幹部の「翻訳」がいるようでは下へ伝わらない。
貴方がもっともっとフィロソフィーを勉強し、自分の口からそれが日常会話の中で出るようにならないと、本音と建前論のようなおかしなことになってしまいます。従業員の物心両面の幸せを達成することを目的にしていることを、もっと分かりやすく説くべきです。従業員のためになることが、行動の骨子であることが一番大切です。
長男の社長と共同して経営理念を確立して、「眞鍋家」の利益のためにみなさんが働くのではないという理念を打ち立てることです。京セラフィロソフィーではなくて、「眞鍋フィロソフィー」として直接従業員に語りかけるべきです。自分たちが作った「眞鍋フィロソフィー」でなければ、血肉の通った浸透が出来ないのです。
2人目の経営体験発表。沖縄塾の平田保信氏。葬祭業・生花販売・IT。2人兄弟の長男。高校卒業し、6年間公務員生活。エネルギッシュな経営者に出会い、心動かされる経営がしてみたいとして公務員職を捨てます。生花店で働きながら、葬祭業を見ていて矛盾に気がつき、感動を提供できる葬儀社を夢見て1995年那覇市内にて110万円で独立創業。
「富士葬祭」創業17年。2000年10月入塾。こちらの目標も売上10億円経常利益1億円です。「会社を大きくしてみせる」一念で、ここまでやってきました。本人曰く「利益を出し高い給料を出したら人はついてくる」と信じていました。
ホール葬祭(ホール建設)を計画したとたんに5人いた従業員が翌日4人退社し、残りの1名も次の日に退社し、妻と2人での再出発をしました。採用にあたっては、実情を話し、ホール葬祭の将来を話してコンパを重ね、ホール建設の目的がぶれることなく、2年半後に「富士ホール」を作りました。
順風満帆であるはずが、2008年癌の発症。発病によって希望を失いかけていた時にも稲盛塾長のCDに救われました。どの山に登るかを決めて、細かなことを点検して経費を削減して、利益が出るようになりました。
平田塾生の体験発表に、塾長のコメントは多くありませんでした。平田さんが多くの問題を抱えていることは、場内の塾生は多くが感じていると思います。それでも塾長は、こういう場で平田さんのような人には多くを語りません。恐らく手紙が行くことでしょう。
そして今日の圧巻は、JAL社長植木義晴氏と話が出来たことです。冒頭壇上で謝辞を述べていましたが、その言葉の行間に隙がなく、と言ってたたみかけるわけでもなく、聞く方に心地よい期待をいだかせる挨拶でした。稲盛塾長はというと、黙って背を向けて聞いていました。
発表者の眞鍋さんと話しがしたくて、塾長席(体験発表者は塾長の隣に座れる特権を持つ)近くに寄った時に、植木義晴社長がいらっしゃいました。この人の前職は本当にキャプテン(パイロットという専門職)かとおもうほど、経営感覚に優れた人です。かねてから好感を持っていた私は、「自衛隊で飛行機に乗りたかった」ことまで言ってしまいました。
稲盛和夫塾長は手品師です。人を役割に応じた立場に置き、その人がウキウキわくわくしながら働ける場づくりをします。JAL再生の象徴である社長に、今JALに一番必要な安全運行の主を置き、その人が発する言霊がJALフィロソフィーになっています。
御尊父の話もしましたが、きっと植木家の墓の中から「おぬしも役者じゃの」と片岡千恵蔵父が微笑んでいるように思いました。