44年ぶりに帰省した大北敏博氏を、母校高商へ案内しました。横山賢治校長と面談の後、長尾健司監督とも顔合わせ。横山賢治校長は2学年下ですから、高商の大北選手のことは知っています。校長は観音寺一高の出身、高商にはなかなか勝てなかったと当時のことを話していました。
長尾健司監督も試験監督終了のチャイムが鳴り、暫くの時間フリーだと校長は言いながら、もう走り出していました。暫くして、校長と長尾健司監督が校長室に帰ってきました。私も長尾健司監督とは初めての対面です。何だか大北の若い頃に雰囲気が似ています。
昨日の大北敏博氏は、雨の中ゴルフをしたといいます。その後10人余の戦友と親交を深めたそうです。その中でも昔の試合のあのブレーは、「アウトだった」とかいう会話が弾んだようです。長尾健司監督も、談笑の中の「さかな」になったようです。
高商はOBの声がやかましいとよく言われますが、私の知る限りにおいては、野球部の先輩すらそんなに大勢がやかましく言っているわけではない?と私は感じています。これとてもいろいろな意見がありますから、このへんで納めておきますが、そんなに鬼のような先輩群ではありません。
前日雨天練習場を外から見たという大北敏博を、校長自らカギを持ち出し、中を見せて下さいました。大北敏博も感心していました。横山賢治校長先生によると、1400余名の協力があってこの雨天練習場が完成したのです。明日総会を予定している東京支部の会報誌から読むと、大阪・東京支部がそれぞれ800万円弱を集めて、4160万円が用意できたようです。
その後仏生山町の法然寺、竜雲うどん、アジールなどを案内して、機中の人となりました。次ぎに帰るときは、かみさんや子供、年内に生まれるだろう孫を連れて帰りたいと彼は話していました。妙な縁で44年ぶりに高松へ帰った大北敏博氏は、大勢の記憶を暖めました。