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カオハガン島朝3時発高松19時着
昨年のブラジルは流石地球の反対側で、本当に遠いと思いました。しかしカオハガン島からは、1日あれば十分帰れます。体調が良かったのか、朝3時の少し前に目がさめました。約束の3時に迎えに来てくれた青年と、一緒に船へ向かいます。

予定より30分程度は早いようです。潮の満ち引きで、乗船位置が変わります。
崎山克彦さん順子さん夫婦と、ゲストの関口さなえさんと香織さんが見送って下さいました。関口さんへは、サントリー白州を託しました。大和と別棟だったために、流石1人だとフルサイズは大半が残りました。

カオハガン・ハウスには日本人が、まだ数人滞在しています。ゲストは、日本人のリピーターが多いようです。私たちが帰れば、次の常連が来るという善循環が始まっているようです。崎山克彦さんがカオハガン島を購入して20数年、やっと効果が出はじめたようです。

カオハガン島からの船には、6名の若者がクルーとして乗り込みます。途中は寝ている子もいました。乗客は大和と私の2人だけ。船も往路便より一回り大きいようです。

ここからは、先に来た湯川正に随分脅されています。しかし復路は湯川の期待を裏切り、穏やかな航行でした。空の星は見えるには見えたのですが、期待とは大きくかけ離れています。満天の星のイメージでしたが、これは次回のお楽しみになりました。

船からはマクタン島の灯が数多く見えて、高松沖合の女木島(瀬戸内国際芸術祭の舞台の1つ)から高松港を目指すのによく似ていました。怖い暗い波をかぶると、先人に言われて、覚悟はしていました。珊瑚礁エリアから離れると、急に波が高くなりますが、往路の比ではありませんでした。

順調に進み(座礁したら1時間とも聞いていました)、僅か30分でマクタン島へ上陸しました。経験はありませんが、麻薬などの取引に使われる場所・時間のような雰囲気です。日本のような入港のための燈台もありません。暗黒の世界です。

着船場からほんの少し歩くと、トヨタ製の立派な車が待っていて、運転手も寝ています。カオハガンクルーは、比較的この時間の送迎が多いようです。成田へのフライトはこれと、もう1便あるそうです。関西空港からの直行便は、まだないと聞いています。

私のこれからのフライトは、セブ空港からPR434便で、7時半頃搭乗します。フィリッピン航空は時間にルーズです。まあこんなものでしょう。空港まではカオハガン島スタッフが送ってくれました。ここからのポーターは、どのルート人か分かりませんが、セキュリティーを抜けて空港中まで入ってきます。

搭乗手続きには2時間も前ですが、「フィリッピン航空に友達がいる」からと言ってポーターが荷物を持っていきました。制服らしきものを着用し、袖には番号が書かれて、証明書も胸から掛けています。彼に頼むことにしました。成田へ荷物が届かなければ、改めて小欄で顛末を詳報します。

問題はチップです。2人だからか、2000ペソと言われました。空港税とモーニングサービス料金を差し引くと、2人の所持ペソで不足しています。「日本円でもいいよ」、優しいつぶやきです。結局秘蔵の5000円札を渡しました。

私はチップにしては正直高いなと思いましたが、ここをよく利用する人に聞くと、「正規カウンターで荷物が重いとか言われたら髙ものにつくよ」とアドバイスを受けました。なるほど、そう考えれば安いものかも知れません。

初めてのカオハガン島でしたが、一番の「日記」はどうにか完遂できました。朝日夕日、満天の星は、ほとんど見られませんでした。しかし島民の生活、とりわけ子供たちの生活ぶりがよく分かりました。年間を通して、そう見られるものではないようです。

島の大きさは、東京ドームと一緒と聞いています。恐らく高松沖の女木島程度だと思います。車バイク自転車もありません。そこに小学生が120人います。またその予備軍もいます。1人が9人産むと言うから、人口は減りません。このあたりが、「何もなくて豊かな島」カオハガン島でしょう。

日本人をはじめ、多くのゲストがあの子らの生活を支えています。確かに宿泊費等は、安くありません。しかし食事も丁寧に作り上げています。デザートを含めても同じものが出てきません。バナナが多く使われていますが、揚げたり必ず手を掛けています。

カオハガンキルトの値付けは、私には分かりませんがこれも、そんなに安くはないと思います。崎山克彦夫婦は、「価値」で売っています。私は調子に乗って、「稲盛和夫塾長のお言葉を借りるなら、値決めは経営と言います」とか言ってしまいましたが、その通りだと実感しました。

順子さんが中心となって、カオハガンキルトを創っています。日本でも展示販売会を開催するようです。キルトはベッドカバーや敷物飾り物にするようですが、島民の特に老婆がひと目ひと目当然手で塗っています。ネットでカオハガンキルトと検索すると、購入方法が分かるようです。

島民の仕事の創出、自立には、お金がかかります。島では医療施設も中学校もありません。中学校は隣の島まで歩いて(潮目で船)、通学しています。高校はその先のマクタン島(セブ空港がある島)です。ここになると、寄宿することになります。医師看護師保健婦さんを目指す島民の子息が、いままさに育っています。

繰り返しになりますが、そんな子らに夢を託して、髙松栗林ライオンズクラブは結成50周年を記念して図書を贈ったのです。僅かですが、先生にもお礼を言われました。崎山克彦さんからは改めて、謝辞がありました。私は帰ったら、すぐに仕事があります。やがて動画をユーチューブにあげます。お楽しみに。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2752 |
| 社長日記 | 07:33 AM | comments (0) | trackback (0) |
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