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第91回東京箱根間往復大学駅伝競走往路大会
出場チームの起床は、夜中の3時と聞いています。元日の夜番組を観ていて、選手はもう寝たかなとふと思ったりしていました。今年の往路107.5㌔は、青山学院大学が5時間23分58秒で征しました。青学の予想以上の走りでした。母校明治大学は、64年ぶり2位に入り、復路に期待をつなぎました。

私もスタート前から、テレビにかじりついて観ていました。正月は、何と言ってもこの箱根駅伝が楽しみです。やはり圧巻は、青山学院大学5区走者の神野大地(3年)くんの走りでした。また新しい「山の神」が現れました。彼は3年生、明日の復路の青山学院大学の走りによっては、青山学院大学天下が誕生するか。

今年は私も、年末の箱根駅伝特集の紙面を取り出して、20チームのエントリーシートに順位を書きながら、そして中継場での襷リレー順位は、インターネットで確認しながら楽しみました。漠然と観ているより、選手の出身校が分かったりして面白い。

大本命と言われていた「駒沢大学」は4位に低迷しましたが、5区馬場選手のアクシデントを無事ゴールさせた大八木監督の手腕は見事でした。残り1㌔で、馬場君の足が止まりました。逆にその前の4区では、1年生工藤くんが区間新に肉薄する走りで、駒沢大学を1位にあげました。

改めて往路優勝の青山学院大学の走りを観ると、1区から順に2位→3位→3位→2位→1位と安定していました。今年は途中棄権するチームもなく、母校の襷が繋がらず繰り上げスタートもありませんでした。関東陸連全体のレベルが安定して確実に上がっています。

そもそもこの箱根駅伝は、日本初の五輪マラソン選手「金栗四三(第 5 回ストックホルム-オリンピック(1912)に日本最初の陸上選手として出場。以後 2 回の参加の後,後進の育成に努める。)の世界で戦える選手の育成」にその原点があります。彼の思惑は、思いの通りに展開しているようです。

1920年(大正9年)に創設された東京箱根間往復大学駅伝競走往路大会は、95年の歴史を誇り、年々人気を博して大勢の応援者を楽しませています。戦争での途中中止で91回になっていますが、主催は今も昔も関東学生陸上競技連盟です。幼い頃の記憶では、自衛隊が応援隊として参加していたと思います。

最後に明治大学のことを少し。明治は1区から順に、3位→4位→2位→3位→2位でした。選手は往路優勝を狙っていて、本当にガッカリしていたようですが、先輩としては、優勝に肉薄するところまで追い上げたのを観て、溜飲が下がりました。

反面裏番組で、全日本学生ラグビー選手権準決勝を観ましたが、筑波大学と帝京大学が決勝に進みました。ここには明治も早稲田もありません。ラグビーも、「早明慶」が頑張らんと面白くありません。しかし安定して長く力を発揮することは、経営と同じように難しいことです。

しかし4年で卒業する選手に歴史を伝えるより、40年在席する社員を震え立たせて業績を挙げる方が容易いように、理屈では思います。少し逸れましたが、また明日の往路の戦いが楽しみです。


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| 社長日記 | 09:19 AM | comments (0) | trackback (0) |
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