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大西秀人高松市長著「高松クリエィティブ・イノベーションへの挑戦」
先の小欄で、「高松クリエィティブ・イノベーションへの挑戦」のことに少し触れました。その中で特に面白い箇所を、本日のネタとして紹介します。平成25年3月に、大西秀人高松市長がぎょうせいから出版したものです。今から2年前で、数字などは少し古くなっていますが、考え方は変わっていません。

神野直彦(地方財政審議会会長)氏との対談ですが、44Pからの神野氏の発言ですが、世界で最初に壺を作ったのは日本人です。今から7000年前に縄文式土器が最初に出来たのです。その後5000年程前にメソポタミアで壺が作られています。

ご存知のように、経済は採集と狩猟から始まります。その段階で人間は壺を持っていけないから作りません。狩りには籠くらいしか持って行けないのです。したがって、メソポタミアで壺が作られるようになったことは、農業が始まって定住し始めたことを意味します。

すると、日本で縄文人たちが壺を作ったということは、すでに定住していたことになります。しかし、縄文時代に農業はしていなかったはずなのに、なぜ定住したかが問題になります。答えは海です。

つまり、日本の狩猟・採集経済とは、食料が向こうからやって来る。狩猟民族は獲物を追ってあちこち行かねばならないのですが、日本では海の恵みによって定住が始まったのです。青森県の三内丸山遺跡などがまさにそうです。

こうして人間は物をつくるようになり、物をつくることが人間の特色となったのです。では、なぜ人間は物をつくるのかというと、物をつくる時、石器をつくる時に使う脳の部位と言語を用いる時の脳の部位は、脳スキャナーで分析すると重なるのです。

つまり、物をつくることは、生きていることと同時に他者に何かを伝えたいと言うことです。縄文式土器についている紋様は後から付けるわけですが、それは自分が見た世界を他者に伝えるためです。生きるか死ぬか分からないような生活をしていながら、なぜアルタミラで絵を描いたのかを考えれば分かると思います。

日本人の場合、海が生活と結びついてどんどん恵みをくれるので農業の発達が遅れます。弥生式土器が出来てから農業が出てくるので、それは2000年後になってしまうのです。

如何でしたか、私はこれを読んだ時、目から鱗がボタッと落ちた音を聞きました。その位、この説には敬服しました。言われるとその通りですが、身近に高松の前にも海があります。まさに瀬戸内国際芸術祭などは、瀬戸内海の多島美を再確認する芸術祭です。そして島の人の営みも、舞台にしています。

もう1箇所、5Pから村上春樹の「海辺のカフカ」について触れています。これを読んですぐに「海辺のカフカ」上下巻を読みました。正直何だか変な作品でしたが、ノーベル文学賞候補者の作品はこんなものかと思いながら読みました。

「海辺のカフカ」は高松が主舞台になっている村上春樹氏のベストセラー小説です。村上春樹氏の作品は、世界中で翻訳されて、多くの外国人に読まれています。そこで外国人に「海辺のカフカの舞台である高松市に来ると、カフカ少年に会えるかも知れませんよ」と誘うと興味を持って貰えるというわけです。

小説では、夜行バスで高松駅に着いたカフカ少年が、早朝から開いているうどん屋でうどんを食べる場面も登場します。そして、「あまりにもうまかったのでおかわりをする・おかげで久しぶりに満腹になり、幸福な気持ちになる。

それから駅前の広場のベンチに座り、晴れ上がった空を見あげる。僕は自由なのだと思う。僕はここにいて、空を流れる雲のようにひとりぼっちで自由なのだ」とあります。現在の髙松駅前サンポート地区の早朝の雰囲気が身近に感じられる描写です。大西秀人高松市長の発想も、なかなかのものです。


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| 社長日記 | 08:37 AM | comments (0) | trackback (0) |
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