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国産機MRJが飛んだ半世紀ぶりの快挙
国産初のジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」が、11月11日(2015年)初飛行に成功した。立派な機影から、おっかなびっくりの飛行は想像できないが、とにかく実際に飛ぶのは初めてのこと。過去の飛行実験で、前輪をほんの少し上げただけとは聞いています。

この映像を、ホテル日航プリンセス京都の1511室で見ました。これも記憶に残るところです。このホテルはホテル日航の中でも小さなサイズで、「京都賞のため」と言ってもなかなか宿泊できないと聞くホテル。私どもは宿泊予約に成功し、着物の気付けも出来た。15階と16階はエグゼクティヴ階だという。

エレベーターにルームキーを差してから、15階を押す。キーを差さないと、15階を押しても反応してくれない。面倒だと思うが、それがステータスだと聞くと文句も口の外へ出ない。盛和塾生だからか、着物の着付きあったから予約できたのか分からないが、とにかくエグゼクティブルームを貰えた。

読者の関心は、「HOW MUCH(いくらか)」だと思うので蛇足ですが書いておきます。33,000円ですが、二人分です。東京だとシングルルームでも、15,000円はとられます。良いか悪いか分かりませんが、東山側の太陽が上がる部屋でした。肝心なのは、こんな良い部屋で固唾を呑んでMRJの離陸を見たことです。

日本の航空機技術は、戦前の戦闘機に象徴されるように非常に高いものがあったのですが、GHQの開発生産禁止令により7年間の中断を余儀なくされて、やっと1962年からのYS-11の生産につながる。

これが73年に生産終了になりましたが、2006年まで、YS-11は日本の空を飛んでいたのです。旧の高松空港は、滑走路が1,200㍍しかなくてYS-11が数多く飛んできました。ローカル路線が数多く飛んでいました。高松空港の子供の国には、今でもYS-11が駐機展示されています。

このYS-11の11は、「いちいち」と発音するのが正しいようです。Yはローマ字の略号で「輸送機」を表し、Sは「設計」を意味しています。数字は、エンジン番号の1と機体番号1を組み合わせた11だと言うことです。それにしても日本のこだわりが、MRJ(三菱リージョナルジェット)機となりました。

それが11月11日に初飛行したのは、記憶にも記録にも残る快挙です。11月11日は、萬木淳一先生の誕生日です。80歳を前にしてこれから平池堤の乙女の像を創ると元気です。またまた蛇足ですが、次男松野誠之もこの日が誕生日です。加えて記念すべき、年男です。


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| 社長日記 | 08:51 AM | comments (0) | trackback (0) |
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