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30年前のあれは香川県内初の恐竜化石だった
大阪市立自然史博物館は10日、さぬき市多和で30年前に発掘された化石が、香川県初の恐竜化石と判明したと発表した。発掘されたのは、白亜紀後期カンパニアン期(約8,300万~7,200万年前)の和泉層群で、同年代の地層から恐竜化石が見つかったのは中四国、関西では初めてだという。

化石は、丸亀市のアマチュア研究家・金沢芳広さん(67)が1986年10月に同市多和の採石場で発見し、自宅で保管していたという。奥さんが「寄贈したら」というので、約2トンを大阪市立自然史博物館に寄贈した。同館の林昭次学芸員が、北海道大や国立科学博物館と鑑定をした。

林学芸員は、「47都道府県中、香川県が17道県目の産地となった。中四国・関西の恐竜史の空白を埋められたことにも意義がある」と説明している。恐竜研究家の話でも、「これまで恐竜はいないと思われていた香川県が、新たに恐竜化石の産地に加わったことが一番のポイント」と話している。

さらに海成層での恐竜化石の発見は、国内でもまれなことのようで、今後追加標本が見つかる可能性が示されたことにも価値がある。恐竜化石は8,000万年前の話だが、私は4世紀ころから6世紀ころにかけての時代区分として「大和時代」が広く用いられ、その時期に日本列島の主要部を支配した政治勢力として「大和朝廷」の呼称が一義的に用いられていた大和朝廷(古墳時代ともいう)にも興味が深い。

これまで「文献」に頼っていた古代史ですが、しかし1970年代以降、重大な古墳の発見や発掘調査が相次ぎ、理化学的年代測定や年輪年代測定の方法が確立し、その精度が向上したこともあいまって古墳の編年研究が著しく進捗しています。

先週偶然訪れた、米子市営の展示館「上淀廃寺跡(かみよどはいじあと)」も、古代史の謎を解く鍵となっている。出雲に大和朝廷があったとしても決して不思議ではない。「文献」に頼りすぎず、理科学的立証が待たれるところです。

先日の盛和塾米子塾長例会でも紹介しましたが、PHP文庫竹村公太郎著「日本史の謎は地形で解ける(2013年10月)」と「日本史の謎は地形で解ける[文明・文化編](2014年2月)」と「日本史の謎は地形で解ける[環境・民族編](2014年7月)」も、これまでの文献主義から「地形」という科学的な根拠を基にしている。


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| 社長日記 | 09:48 AM | comments (0) | trackback (0) |
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