観音寺市の沖合に浮かぶ伊吹島は、讃岐うどんに欠かせないだしイリコ生産の聖地です。恥ずかしながら私は、今日はじめて伊吹島へ上がりました。今日の定休日も、することは一杯あるのですが、今年の瀬戸内国際芸術祭の、伊吹島は秋会期だけというのも、外せないネタの一つです。
秋会期は10月8日から11月6日(日)までの一ヶ月弱です。毎週来たとしても僅か4回、今年は県西の島を攻めてみたいと考えていますが、それだけでも時間が足りません。しかし欲を言って沢山見たとしても、残らなければあんまり意味がありません。記憶に残るのが、ここでは希少価値です。
ここ伊吹島は、観音寺港から渡船で25分。ことひき公園内に瀬戸内国際芸術祭用の専用駐車場が用意されていて、そこから港まで無料バスで運んでくれます。観音寺一の狭わい道路と思われる道をバスはゆっくり進みます。担当者の弁では、徒歩25分とのことでした。バスでも10分弱くらいでした。
伊吹島は周囲5.4㎞、人口590人(平成22年)の小さな島です。イリコの産地として知られ、漁期の6~9月になるとイリバと呼ばれる加工場が一気に賑わいます。従ってこの10月は漁期外れで、比較的暇なようです。前回は夏会期だったもので、大勢来られて迷惑だったと島民に言われました。
船は、伊吹島南の真浦港へ入ります。ここから伊吹島の芸術ポイントが始まりますが、まず迎えてくれるのが「坂」半端な坂ではありません。伊吹島はバイクが多いとは聞いていましたが、バイクに乗れない老人にすれ違うと思わず「たいへんですね」と声をかける。「すいませんお騒がせして」、「いらっしゃい」。
坂の途中に、イリコだしの試飲をさせてくれる店(ヤムヤム)があります。いりこの捨てる部位からだしを取ったというのですが、私には美味いと感じる味でした。只でもらうのも申し訳ないので、いりこむすびを買いました。一個百円ですから、安くはないと思いますが、ここ伊吹島では米がとれないと言うから妥当か。
作品番号167みかんぐみ+明治大学学生が一番気になって、現場へ行ってみました。「イリコ庵」と名付けられていますが、残念ながら大した工夫は感じられませんでした。
印象的な作品は、アルフレド&イザベル・アキリザンの作品170。島一番の高台に、イリコを釜入れするときに使う木枠の容器をパラボラアンテナの形に並べています。真ん中から顔を出すことができて、島の担当者に写真を撮ってもらう見学者も居ました。
しかしなんと言っても、イリコだしのうどんでしょう。堪能しました。勿論漁連の事務所でイリコを何種類か買い求めました。イリコ飯もかみさんのために買い求めました。
ここを13:05の船で、観音寺港へ戻ります。50㎞程度離れている詫間町の須田港から15:05出港の粟島行きがあることを知り、欲張って行ってみました。ここにも無料駐車場があり、バスで須田港まで運んでくれています。JR詫間駅からの無料送迎バスも、用意されています。これは良いですね。
粟島(あわしま)は、国立の海員養成学校(現・粟島海洋記念館)があった島です。最盛期には2,000人の島民で賑わっていたそうです。対岸の詫間には、国立高専詫間電波学校がありました。一説では村上水軍の子孫が多く学んだと言われていますが、龍雲中学校からも1人詫間電波学校へ行きました。彼はJALへ入社しました。
海員学校は、15歳から1年間だったそうですが、4月入港生と9月入港生があり、重なると200人になり、島は元気だった。卒業生が書いた寄港地は、世界中。それが学校は閉校になり現在は島民150人程度で、さらに三豊市の施設に入っている人が含まれるので、実際は100名少しではないかと。
そうだ粟島で一番有名なのは、久保田沙耶さんの「漂流郵便局」でしょう。宛先不明の、「いつかのどこかのだれか宛」の手紙を受け取る郵便局。18年前ここが閉鎖になる時に局長だった中田さんが、今でも当時の制服姿で業務をしています。小学館から上梓されている本の裏には、2人のサインがありました。
念願の伊吹島と粟島へ行ってみました。どちらも暮らすには不便ですが、今では水道も電気も海底ケーブルで供給されていて、昔とは随分変わったと言います。しかし海がしけたら、2~3日船が来ない日もあるとか。島民減の今、島民の多くは、3年に一度の瀬戸内国際芸術祭を楽しみにしています。