宿泊の草津ナウリゾートホテルは、草津温泉ホテルと言うより草津国際スキー場ホテルでした。夜は若者家族連れが多く、朝風呂はまばら。7時頃の朝食会場は超満員。バスでホテルを出たら、すぐに天狗山レストハウスがあり、リフトが動いていました。こんなに近いのかと、ビックリしました。
夜食はバイキングでしたが、メインはカニです。若者が飛びついていました。飲み放題も1,600円で、ワインもついています。食べ物の品揃えも、寿司からカレー、ラーメンまで、豊富です。探せば「そば」もあったかも知れません。
売店も半分は土産物、半分はスキー用品が豊富に置いてあります。ゴーグル一つを取ってみても、安くなっています。私が活躍?した30年前は、1万円を超えていました。今日ここで見るものは、2000~3000円です。
ゲレンデを見て改めて自覚したのですが、草津の有名な湯畑でも、1200㍍の標高にあります。白根山の2,100級の山々が連なっているので、数百㍍上がればもうそこがゲレンデという立地です。当然ホテルの周りは雪で一杯ですが、流石にリゾートホテルで、玄関周辺は除雪が十分されています。
バスは上信越国定公園・鬼押出し園へ到着。「祝!ジオパーク認定」と垂れ幕があります。ジオは地球、パークは園。江戸時代の浅間山の噴火(1783年8月5日和暦(天明3年7月8日)天明大噴火)で堆積した石群がごろごろしていて、鬼=「怖いものの総称」がはき出した溶岩が多く見られる場所です。
浅間山は古代から何度かの噴火を繰り返していて、2年前にも小規模の噴火があり、今日も水蒸気(案内人の説明)を上げています。カルデラはフライパンで、そこに水や雪が触れたら、台所でも水蒸気が上がるというたとえ話をしていました。ここに、上野寛永寺の分社があります。立派な鐘楼で、一つゴーン。
昼食は、「おぎのや横川店」。創業明治38年「峠の釜めし」で有名な弁当屋さんの支店の一つ。昭和33年に峠の釜めし(信越本線横川駅で販売)を考案したというのは、稲盛和夫塾長が京セラを作った前の年。日本中でいろいろなものが勃起し始めた、黎明期とも言えます。
益子焼の一人用釜に入った峠の釜めしは、今も昔も変わってないようですが、鉄道が一部廃線に成り、国道の上に高速道路がついて、「峠の釜めし」の売り上げも上下したようですが、それでも富岡製糸場(明治政府の殖産興業政策の一つとして,1872年(明治5)群馬県富岡に設立された官営の機械製糸工場。
)の世界遺産認定などもあって、団体学生には大人気の店です。
従業員もよく働いていますが、先週末に行った京都嵐山のレストランのシステムと比べたら、まだまだですね。ここでは定番の固形燃料を使っています。教えてあげたいが、すべがない。群馬県安中市と言えば、武藤忠数のかみさん元女さんの実家のあるところ。彼女も峠の釜飯を食べて育ったのか。
そうそうガイドさん熊田イチ子さんの弁によれば、群馬の女性は「かかあ天下」と呼ばれるが、これは「まゆ作り」に起源があり、生糸の元であるまゆを育てるのに女性の細かな仕事がどうしても欠かせないことから、偉大な人と言うことで「かかあ天下」と呼ばれるようになったので、誤解のないようにと加えていた。
そして圧巻は、「五千頭の龍が昇る聖天宮(せいてんきゅう)」。圏央道坂戸ICより1.5㎞、埼玉県坂戸市塚越51-1に位置する台湾道教のお宮です。中国台湾のお宮ですから、派手です。聖天宮建て主は康國典大法師。 敷地の規模とか、総工費などの公表はありません。
師が四十歳半ばにして不治の大病を患い、ご本尊「三清道祖」と縁起をもたれたのを期に一命をとりとめ、完治されました。 深謝の念と、何人にも神様のご利益にあやかれるお宮を建てたく建造の地を探していたところ、なんと生国の台湾ではなく日本国のこの地にとお告げを授かりました。
聖天宮の名、佇まいや方角もお告げがあり、当時、正面の道、最寄の若葉駅もなかった雑木林のこの地を一から整地し昭和五十六年より着工に至りました。 台湾の一流の宮大工を呼び寄せ、十五年を掛け、平成七年に聖天宮を開廟しました。
道教の教えに、なるべく物には頼りすぎず、人との関係には思いやりを持ち、衝動は一回立ち止まってから判断すると気持ちに余裕が持てるようになると記しています。驚きの建物でした。一見の価値はあると思います。
さて帰路羽田空港です、混雑を心配して早めに空港入りして、フライトまでたっぷり時間があります。阪急交通社の営業力にまず関心。ご一緒させて頂いたチャーターメンバーL大住省司、L香川明俊、2日間一緒の部屋で迷惑をかけたL浅田善太郎会長ありがとうございました。