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鉄人衣笠祥雄氏のキャンプイン所感
1月の最終日、31日を迎えました。この日はプロ野球選手の元旦になります。
昨日、もしくはもう少し早くキャンプ地に入った人もいるようですが、最近はこのようなことが多く、各自で都合のいい日にキャンプ地に入る事があるようですが、これも時代ですかね?

各球団ともにアメリカと同じように各自の自覚に任せている事が多いようです。
以前はこんなことは許されてなく、チームとしての行動をとるように教育されていたはずです。

当時は巨人軍の王、長嶋でさえチームと行動を共にして居たのですが、長嶋さんがいつの日からかチームと離れるように行動してゆき、考えればこの人が始めかな?では仕方がないか?と言いながら内心は納得していません。

1965年1月30日夕方に京都駅から夜行列車に乗り(名前は忘れました)おそらく深夜に広島駅に到着して、カープの選手の方々を乗せて、宮崎駅に向かって出発したはずです。31日お昼前に宮崎駅に到着しましたから、朝起きて選手の方々に挨拶も出来ず、困ったのを今も覚えています。(知らない人ばかりでしたから)18歳でした。

駅からバスに乗せてもらって日南に到着、1軍宿舎と2軍宿舎のバスに分かれて乗車、宮崎市内を抜けて、今は無くなった堀切峠を超えると、すごい景観が待っていました。「海」太平洋が一面に広がっていたのです。

子供のころから町内会の海水浴といえば、「琵琶湖」と決まっていました。だから私にとって「海」は、琵琶湖なのです。子供にとって、琵琶湖は大きな海でした、広くて、深くて、沖に出ることが怖い海でした。そんな私にとりまして、余りにもスケールの違う「海」が、目の前に広がったのです。

驚き、感動、喜び、地球が丸いといった人を尊敬しました。水平線が丸く見えたから、学校で習ったことが正しいと確認しました。何ともいえない、素晴らしい出来事に出会い暫し言葉も出ませんでした。まして周りは知らない人ばかりです、話せません。

こうして日南の2軍宿舎に到着、夕食後1軍宿舎に集合、1年目の監督さん白石監督の訓示、マネージャーから明日の予定の通知、期待と不安を胸に徒歩で宿舎に帰ったのを覚えています。そんな人間ですから、この日位はチームとして行動してほしいと思うのですが、古いのかな???

何れにしても今日の夕方には各チームの監督が全員を集めて、今年のチームの目標、戦略、各自の役割、監督の口からハッキリと話すはずです。目標=「優勝」これ以外にありません。その為に、今年のオフにフロントと共に補強をしてきたわけですから、そして集めた選手たちと共にそのチームの「野球の方法論」「勝ち方」を話すでしょう。

本当は高校野球のように8人の野手、エース投手、1番の背番号から9番の背番号まで、プロ野球の場合は、4人の先発、2人の中継ぎ、1人の抑え、ここまで発表して欲しいぐらいです。

今の高校野球の発表がいつかは知りませんが、我々の時には秋季大会の始まる前にこの儀式があり、レギラーがチームに発表されます。選ばれた選手の緊張した顔が、また一段とたくましく見えたものでした。

プロ野球は、このような儀式はありません。なんとなく決まっているような気が皆んなに知れて居て、高額な給料をいただいている人がレギラーとして認められているように感じます。

今年はどんな野球ができるのか?その中で自分はどんな活躍ができるか、やりたいのか?もう一度自分に聞く時間を作りたくなるキャンプ前日の夜です。23回こんな気持ちでキャンプ初日を迎えておりました。

春のキャンプを迎える時に「23回で一番気持ちが楽なキャンプはいつでしたか?」時々こんな質問を受けることがあります。いつも緊張してキャンプを迎えるのですが、考えてみると確かに一番楽なキャンプはありました。1年目のキャンプです、比較する前年度がないのですから、「期待」だけのキャンプです。

だから楽だったのでしょう、2年目からは前年度の数字というものがついてきますから、この数字よりも少しでも上に行きたいという願望が選手にはあります。これが苦しみ原因でしょう。

前年度と同じでいいと考える選手は、おそらくいないでしょう。3割を打っても、次の年には3割1分、3割1分の次は3割2分です。終わりがないのです欲望には、2年目のジンクスはこんなところが原因でしょう。

そんな自分と戦って練習している選手の頑張る姿を、今年もじっくりと見せてもらいましょう。

盛和塾福岡阪和彦先輩に、衣笠祥雄氏が送ったメールを転記させて頂いております。昨年の衣笠祥雄氏のレポート、黒田投手の一度も20勝していない200勝投手の歩みなど、衣笠祥雄氏の琴線に触れる記事を抜粋して転載させて頂いております。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=3674 |
| 社長日記 | 08:36 AM | comments (0) | trackback (0) |
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