前回は還暦同窓会として、香川町のチェルシーでやりました。あれから、5年が経過しました。今回の同窓会は、「同窓会本舗」に委託して、伊勢田竹志さんが総合幹事としてやってくれています。会場もその専門会社が契約した、高松東急REIホテルです。ホテルとしては、航空会社が利用するクラスのホテルです。
12:30の受付にめがけて、行きます。電車に2、3、4と乗ってきます。ところで昨日は、高松栗林ライオンズクラブ歌謡塾があって、よせば良いのに呑んだ後の電車で座り、降りた駅は予定の仏生山駅よりかなり向こうへ行っていました。
と思ったのですがICカードを駅員に調べて貰ったところ、一つ駅通過でした。酔っているもので道が分からなくて、今日の分も7,700歩ほど歩きました。万歩計は午前0時に自動的に切り替わり、昨日分の歩数が18,864歩ですから、この間の2~3時間歩いたことになります。
途中で自宅にSOSを入れましたが、相棒は白河夜船と思いきや「もしもし」と言ったら「亀さん」とも言わずワン切りしたとか。タクシーにも電話しましたが、「今日は休み」と言われて万事休す。こんな馬鹿な自分を見ていると、まだまだしぶとく生きるのでしょうね。
さて同窓会ですが、今日は65歳組が男女79人ほど集まりました。最も私は先頭を切って65歳ですが、ほとんどがまだ満年齢64歳です。この65歳というのは、先にも小欄で触れましたが大きな節目です。「高齢者」の仲間入りです。自分の年金の手続きも、終わりました。年金については、言いたいことが山ほどあります。別の機会に、まだぐだぐだと書きます。
還暦同窓会の5年前はまだまだ現役が多かったのですが、今日はUターン組が、初めての同窓会という奴も来ていました。森上浩年はJALからARINC(1929年に設立され、 航空 、 空港 、防衛、政府、医療、ネットワーク、セキュリティ、 輸送の 8つの業界向けの輸送通信およびシステムエンジニアリングソリューションの主要プロバイダー。) で現役だとか。詫間電波高専卒の優秀な男です。
また一人、消息不明の檜皮且也が来ていました。これまでの人生で、10名くらい印象の深い友がいますが、彼もその中の一人でした。ハンドボール部で一緒に頑張った仲間ですが、困ったときに左サイド角度のないところから、左利きの利点を生かしたシュートを決めます。彼もただ一度だけ、負けた試合のことを克明に覚えていました。
高松高校から同志社、トヨタを経てこちらへ帰って来たようです。寺井健も昨年暮れに仏生山町に新居を構えました。昨年脳梗塞で倒れたと聞いていた上佐博人も、自分では多少の言語障害が残ったというのですが、前とほとんど変わらない様子。安堵しました。
蘇る「乙女の像」に多額の募金をしてくれている菅克裕は、奥さんと再度の復縁をしたとか。私も20年ぐらい前かな、東京で3人で食事したことがありました。男っ気の強すぎる克ちゃんです。武藤忠数と中西清子さんが来ていなかった。二人とも平成乙女の像募金に協力してくれています。
そうそう今日、伊勢田竹志幹事から平成乙女の像について5分ほど時間を与えられました。このために用意したチラシを配りました。賛否両論ある中で、うれしい配慮に感謝。還暦同窓会へ来ていた奴は、そこからスタートしたというのは理解してくれています。
吉報ですが、瓦町フラッグ8階の市民活動センターにもこのチラシを設置できました。22日県文化会館での「糸より姫降臨」の芝居でも、配布されるようです。このチラシ作成の機会を生かして、ブロンズ化の400万円を集めたい。