2017,07,06, Thursday
記憶に新しい平成26(2014)年8月の広島豪雨でしたが、今度も広島以上の被害が出てしまった九州北部豪雨。政府は「国土強靱化計画」とかで、都市部の防災には熱心だが、地方においては打つ手なしの無策。やはり自然相手の対策はないと、諦めというか達観するか。
高松周辺は古代から水不足で、このような豪雨で住民が孤立することはまず考えられないが、それでも平成16年には海からの水攻めで、市内あちこちで冠水があった。四国でも香川県を除く愛媛県や徳島県では、今回のような崖崩れは時々起こっている。 まだまだ豪雨が続くという予報が出ているなかで、住民もこれが落ち着いたら、命を守る防災を再検討する時が来ているように思います。日本に限っては、人口の爆増はこれから将来まず考えられない。外国からの移民移住には、これまでと同じか少し緩和になっても門戸を全開にすることは考えられない。 町や村を捨てるという発想は、日本人には少ないように思います。老後を迎えても、住み慣れた田舎で暮らしたい。それもある程度のインフラが整備されているところならまだしも、限界集落となると、市町村も正直整備の見通しがたたない。 今回の被害状況を映像で見ると、数多くの住宅等が崩壊している。象徴的なのは、原木の皮がむけた状態の大型流木が目につく。木も水や障害物にぶつかって、皮がむけた痛々しい状況になっている。自然の力のすごさを物語っている。 産経新聞が、「インフラが危ない」という1面特集記事を連日掲載しています。九州北部豪雨の記事の下に、この特集が丁度組まれて、読むとぞーとします。50年以上経過した橋などの整備に、市町村はもうカネがないと言い切っています。今回の災害で鉄橋が流されたのも、竣工時期がつまり、50~60年経過していたのではないだろうか。 政府も山の木に焦点を当てて、木の活用を次の産業と位置づけていますが、産業つまり仕事とすまいははっきり峻別する時が来ていると思います。すまいは平野部の安全地帯に作り、仕事は山奥まで分け入り、大規模に伐採をして、次の世代のために植樹をします。 日本人は「利他の心」を由としている、世界でも珍しい民族です。私は法律で固く強く守られている「所有権」について、もう少し「公共性」とのバランスを考えるようにしても良いのではないかと思っています。自分のエゴのために、何を選択しても良いというのには、限界を迎えています。 これからも国内のあちこちで、「豪雨」は発生するでしょう。もちろん日本だけの問題ではなく、地球環境ですからある意味手の打ちようがない。アメリカでさえも、パリ協定から脱退と声高に叫んでいる。これまでに経験したことのない自然災害も、ある線以上の災害は人災です。 今まで以上に、狭い日本ですから寄り添って生活していくことを考える機会に、災害を契機にするのは不謹慎かも知れませんが、犠牲者が出ないと性根に入らない日本人気質もあると思います。 |