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海軍乙事件を追うby後藤基治
「日本の運命を決めた十二日間」と副題のついた後藤基治(元毎日新聞政治部長)著の本が、毎日ワイズ社から2017年7月7日上梓されています。これも手術後のハンディキャップを考えて、早めに書いている貯め稿の一つです。

また先に小欄で紹介した、郷土三本松の英雄、樋端久利雄氏の関係した先の山本五十六長官搭乗機が撃墜された事件(1943年(昭和18年)4月18日)を「海軍甲事件」と呼ぶことから、本件は「海軍乙事件」と呼ばれていました。ともに連合軍機に襲撃され、指令官を失った事件です。因みにこれ以降日本海軍も懲りて、「海軍丙事件」は起こっていません。

海軍乙事件(かいぐんおつじけん)は、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)3月31日連合艦隊司令長官 古賀峯一海軍大将が搭乗機の墜落により殉職した事件である。事件の際に日本軍の最重要軍事機密文書が、ゲリラ経由でアメリカ軍に渡ったとされている。古賀峯一海軍大将は捕虜になり、生きながらえたとも言われるが真相は分からない。

3月31日夕刻、ミンダナオ島のダバオへ飛行艇(二式大艇)で移動を図ったが、途中で低気圧に遭遇し、古賀が乗っていた一番機(八五一航空隊所属、機長:難波正忠大尉)が行方不明となった。二番機(八〇二航空隊所属、機長:岡村松太郎中尉)も後述のように不時着した。

これは2機が異なる航空隊に所属していたため、天候不順の場合に海面を這うか(一番機)、雲上に出るか(二番機)という違う教育を受けていた為だとされている。一番機は、南方→パラオ→サイパン→パラオ→遭難という経緯であった。

この事故で、一番機に乗った古賀以下の司令部要員7人を含む全搭乗員は「殉職」とされた。これは嶋田繁太郎海軍大臣が、古賀の行動を前線からの逃走と批判し、戦死ではなく「殉職」という扱いにさせた為である。先の捕虜になったという話と、関係があるやもしれない。

古賀の殉職はすぐに国民には知らされず、同年の5月5日に発表され、古賀は元帥府に列せられ元帥の称号が与えられた。なお、嶋田は戦後になって「(古賀の殉職を)戦死に直せないか」と復員局に問い合わせたが、認められなかった。

一方、二番機はセブ島沖に不時着し、搭乗していた連合艦隊参謀長福留繁中将以下の連合艦隊司令部要員3人(他、山本祐二作戦参謀、山形掌通信長)を含む9人は泳いで上陸したが、ゲリラの捕虜となり、1944年(昭和19年)3月8日に作成されたばかりの新Z号作戦計画書、司令部用信号書、暗号書といった数々の最重要軍事機密を奪われた。

ゲリラに対して警戒心を抱かなかった福留らは拘束時に抵抗や自決、機密書類の破棄もしなかった(かばんを川に投げ込んだが、すぐに回収されたという)。結果、日本軍の最重要軍事機密文書が、アメリカ軍に渡って、その後の日本軍の動きがすべて連合国軍に知れることになって、日本の敗戦が決まったと私も考えている。

この時の日本軍の最重要軍事機密文書は、1番機の連合艦隊司令長官古賀峯一海軍大将も持っていたし、2番機の連合艦隊参謀長福留繁中将も持っていたように書かれている。果たしてどちらから漏れたか定かではないが、毎日新聞の従軍記者として現地で見聞きした後藤基治氏の力作であるが、私には期待外れの内容だった。

しかし毎日新聞は、戦時中は朝日新聞などと同じように「御用新聞」として戦勝を国民に煽っていたが、朝日新聞のように戦後マッカーサー元帥から廃刊を言われて変節したのに比べれば、「時の正論」を忠実に報道したのだろう。稲盛和夫塾長の「思い邪なし」連載の間は、私も毎日新聞の読者であります。

ただ一つ、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃をスクープした記事は賞賛に値する。勿論後で判明したことだが、ハワイ攻撃の「Z作戦(3度Z作戦が登場する)」計画が海軍の正式決定となったのは11月3日、発令は11月7日で、この時に「X日」は12月8日と決定されていた。これを記事にして発刊、大スクープか誤報か、行き詰まる時間経過が描かれています。

先の小欄「海軍甲事件」でもこの「海軍乙事件」でも、日本対アメリカの国力の差は当然のように海軍士官間で共有されていた。それでも開戦に至ったのは、追い詰められた事実は分かるが実に愚かと言うほかない。今も北朝鮮、中国、ロシア(北朝鮮の核保有を2000年から知っていたというプーチン)対日本・アメリカ、2冊の本が警鐘を鳴らしているとしか私には思えないのだが。



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| 社長日記 | 09:17 AM | comments (0) | trackback (0) |
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