1991年は平成3年で、昭和のバブルが崩壊していた頃ですが、田舎ではまだまだ好景気が続いていました。その6月、島原市内の普賢岳が噴火をして、騒ぎが始まりました。島原LCのメンバーは、BBQをしていたそうです。その年の12月、島原第四小学校の生徒が、第5回高松冬のまつりのメイン舞台に立っていました。
私は当時の幹事で、子どもの派遣を依頼するために、夏の暑い日島原LCへ平井大資さんと一緒に来ました。L浅田善太郎会長は、「お金のことなら任せ」と言うもので、強引に御願いをしました。今日も「迷惑だった」と正直にいう、松尾錦二委員長の言葉の通り、島原LCは正直断りたかったと感じました。高松栗林LCから私と平井大資さん、島原LCからは10名ぐらいのメンバーでした。
最初は、子どものことですからPTAのチャンネルで派遣を依頼していましたが、時間の経過にいらだち、ライオンズクラブの人脈に切り替えました。地元四国地区キャビネットを通じてリジョンチェアマン・ゾーンチェアパーソンを訪ね、依頼しました。相手の島原LCに、ゾーンチェアパーソンがいて、「とりあえず話を聞こう」となりました。
こんなことがご縁で、私は島原というと必ずここへ来ています。島原LCは今年が60周年で、姉妹クラブは韓国から、国内も福岡行橋・京都福知山・大分豊後高田・高松栗林と幅広いつきあいをしています。福岡行橋ライオンズクラブからは25名の参加です。高松栗林は私一人。明日の式典には3名が、参加してくれます。
今日の圧巻は、島原商業高校のマーチング演奏でした。高松商もブラスバンドやマーチングが活発ですが、ここも元気です。笑顔が良いですね。女子ばかりかと思いますが、指導先生も女性です。私は目の手術のせいか、涙が溢れて来て、なぜだかよく分かりませんが涙が止まりません。舞台もホテルのものですから、十分な広さはありません。
後半ではベリーダンスが出てきましたが、この高校生の笑顔と自信に溢れた姿は、熟女も勝てません。今日は提携クラブと島原LCのメンバーで、総数120人。明日は300名と言うから、やはり島原LCは凄い。高松へ子どもを送り出した頃は、130名の会勢で、今は減ったと言いながら80余名。島原は一市一クラブです。だからJC卒業生は、ライオンズかロータリークラブへ。
今日はこの後二次会三次会と、ホテルへ帰ったのは文字通り午前様でした。運転手さんも心得たもので、あの人の最後はあの店だとか、島原は小さな商圏ですが密度が濃いつきあいをしています。明日は、11時から記念式典が、南風楼でおこなわれます。