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明大20-21の惜敗帝京大最多V9
ラグビーの全国大学選手権は7日、東京・秩父宮ラグビー場で決勝が行われ、帝京大が21-20で明大に逆転勝ちして、自己の史上最多を更新する9連覇を達成した。後半一時20-7とリードした明大も、最後は足が止まり、王者の帝京大に及ばなかった。

1996年5月に名将の北島忠治監督が死去し、そのシーズンは早稲田に逆転勝ちして優勝したものの、それ以降大学日本一に今年も届かず、19大会ぶりの挑戦もあと一歩、あと一点追いつかなかった。王者の帝京大の貫禄勝ちと言うけれど、追われる王者は挑戦者以上に苦しかったはず。明大22大会(前回の優勝から)ぶりの来年は、是非日本一に返り咲いて欲しい。

名将北島忠治監督は常に前へと言い続け、北島監督の臨終の言葉は「明治、前へ…」だったと奥さんが語っている。「重戦車・明治ラグビー」のために生き、没した生涯であった。30代前半で禁酒、しかし、1日100本の愛煙家の生涯でもあった。相撲部からラグビー部へ転身した人で、こよなく明大を愛し、ラグビーを愛した人であった。明大の「前へ」は、今も大学のスローガンになっている。

戦後すぐに帰郷していた故郷新潟から上京、復員してくる部員たちが食糧に困らないように自らグラウンド周辺に作物を植え、翌1946年9月には4500kgものサツマイモを収穫した。北島がラグビーを通じて目指したものは人格陶冶、社会に恥じない人間を育てることであった。

それを示す例として、ラグビー部寮が火災で焼失した際、「家は建てられるが部を再建することは困難である」と、新宿の自宅を売って再建したという。今の明大は、受験生が10万人を超えると聞くが、北島監督時代、私もいた頃も、「ださい明治」だった。かまやつひろし氏の、「我が良き友よ」に謳われたあの頃だった。

しかし北島忠治監督が追い続けた重量フォワード戦も、今年の試合を見ると、加えて俊足がサイドを抜くトライをあげている。押すだけでは勝てない。北島イズムを踏襲しながら、プラスアルファを取り入れないと勝てない。嬉しいことに、それも出来はじめている。OBとして出来ることは、文句を言うより年始に届いた「募金」に協力することだろう。


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| 社長日記 | 10:23 AM | comments (0) | trackback (0) |
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