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雲仙普賢岳大火砕流から27年
島原雲仙普賢岳で、消防団員ら43人が亡くなった1991年の大火砕流から27年となり、被災した麓の島原市では3日、発生時刻の午後4時8分、サイレンを合図に遺族や市民が黙祷し犠牲者を悼んだ。市内3カ所の献花台に多くの人が訪れ、鎮魂の祈りをささげた。

私も晩夏に、現地へ入りました。当時、高松栗林ライオンズクラブの幹事をしていて、落ち込んでいる島原市内の小学生を励ます意味で、高松冬のまつりに何人かを招待してはどうかという遠大な計画の打ち合わせで、平井大資さんと一緒に行きました。大阪伊丹空港経由で長崎空港へ降り立ちました。藤井幹事らが出迎えて下さいました。

メンバーの車で、そのまま島原市役所へ入りました。廊下には椅子が置かれて、大勢が市長との面談を待っていました。それを横目に藤井幹事は、つかつかと当時の鐘ヶ江管一市長のいる部屋へ通ります。50人は抜いたと思います。高松栗林ライオンズクラブメンバーだと、彼が市長に伝えました。当時テレビでお馴染みの髭の市長です。

席をホテルに移して、島原ライオンズクラブメンバー10数人との交渉の結果、島原第5小学校が一番の被害校だが、手厚い支援を受けている。従って2番目の大被害の島原第4小学校から20数人の小学生、島原ライオンズクラブから10名程度のメンバーが、福岡空港から当時のTDA(東亜国内航空)で、高松空港へ来ることが決まりました。

交渉は5~6時間かかったと思いますが、その後の打ち合わせもあって、第5回高松冬のまつり開会式当日の舞台へ、無事送り届けることが出来ました。島原第4小学校から福岡空港までは、BUSで高速道を駆け抜けたと聞きました。当時のTDA(東亜国内航空=JAL)の特別配慮で、おとな半額、子ども無料になりました。

これがご縁で、双方からの交流がいまだに続き、今年4月の高松栗林ライオンズクラブ結成55周年式典へも来てくれています。流石に当時のメンバーは少なくなりましたが、髭の市長こと鐘ヶ江管一氏も在籍しています。今日のテレビにも、鐘ヶ江管一元島原市長の顔がありました。何年経っても雲仙普賢岳は、私の記憶から消えません。


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| 社長日記 | 08:55 AM | comments (0) | trackback (0) |
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