過日、6月2日土屋恵一郎明治大学長の講話を聞いた。その際に、標題の本(早稲田卒の上阪徹・東洋経済新報社)の話題が出ていた。興味本位で読んでみた。内容は、土屋恵一郎学長の話と重なるところが多い。しかし、明治大学が女子教育に特化していたという話題は知らなかった。日本の大学の女子教育のフロンティアは、明治大学だというのです。
明治大学が女子部を作ったのは、昭和3年。法学部に女子を受け入れた最初の大学が明治大学。日本で最初の女性弁護士は、中田正子さん、明治大学の卒業生。1935年に明治大学女子部を卒業して法学部へ進み、1938年に当時の高等文官司法科試験に合格している。同時合格の3人は、いずれも明治出身者だった。中田氏は翌々年、弁護士試補孝試に合格。
そして中田正子さんは日本初の、女性弁護士になりました。また最初の女性裁判官も、明治大学出身です。一貫して、女子の法曹教育を支えてきたのが、明治大学。今女子高生に一番人気がある大学の一つが、明治大学であると言える。その証拠に、在京生の割合が高くなっている。バンカラからハイカラ、田舎者から都会子女へ明治大は大きく変わった。
有名私立大学と言えば、早稲田・慶応が両横綱で、明治大はその次のMARCH(マーチ)に入っていると言われているが、この本では明治大は上智と2位を形成し、3位グループのARCH(アーチ)と一線を画す存在になったと書かれている。土屋恵一郎明治大学長もスピーチで、明治大は2位で良いのです。1位になったら、何の変革もできなくなるから。
明治大学の創立は1881年、明治14年のこと。前身である明治法律学校をつくったのは、岸本辰雄・宮城浩藏・矢代操という3人の法学者。3人は地方の藩出身者で、幕末維新の動乱と激しく世の中が変わっていく中で、明治政府の命を受けた藩の選抜生として上京、フランス法学を学んだ。
この創立そのものが、実は喧嘩だった。官学に対する喧嘩だから、私学というものは。現実の権力に対して、楯突いたわけだから。特に明治大は、フランス法学派の民法典論争で支流派に負けたのです。反主流派になった。だから権力に対する距離が持てるようになったとも言える。創立者の3人は、まだ30歳前後の若さだったが、個人の権利を尊重し、自由な社会を実現するために、日本の近代市民社会を担う聡明な若者を育てていくことを考えた。
その精神は「権利自由」「独立自治」という建学の精神として今も息づいている。そして、「個」の確立を基礎とした教育方針が、「個」を強くする大学という理念としていまに継承されている。
早稲田大学をつくったのが大隈重信、慶應義塾大学をつくったのが福澤諭吉とともに1人。日本人の多くが知っているがそれに比べて、明治大学の創立者の岸本辰雄・宮城浩藏・矢代操という3人の法学者を知る人はほとんどいない。それが明治大の存在だと思う。
志願者数11年連続10万人超、おしゃれで美男美女が多い。米国のディズニーランドに留学できる。私も昨年行ったが和泉キャンバスの図書館には学生が5,000人、就職サポートが充実している明治大学。バンカラ大学に、この10年で一体何が起こったのか。
「すべては学生のため」を貫いて来た。だからこそ、一連の変革は可能になったのだとも言える。