台風19号が上陸し、日本列島を串刺しするように進みました。今年は自然災害が多い年です。14日青森市で開催予定だった盛和塾塾長例会が中止になりました。私が入塾後、塾長例会が中止になった記憶はありません。先の台風による「広島土砂災害」、「御嶽山噴火禍」「19号災害」等災害が続いています。
ところで私ごとで恐縮ですが、先週黄斑円孔の手術を受けました。黄斑円孔は、眼底の中心にある黄斑部の網膜(もうまく)に孔(あな)があく病気のようです。黄斑部は物を見るための中心ですから、黄斑円孔になると非常に物が見えにくくなります。
(私は10年前までと言われたが)15年ほど前までは治療不可能とされていましたが、最近では手術で、ほとんど黄斑円孔は閉鎖することができるようになってきたと言われています。私のような高齢者に多い病気ですが、落下事故や眼の打撲などで若い人にも起こることがあるそうです。
このように眼の老化、とくに硝子体(しょうしたい)の加齢による変化が原因です。IPS細胞(人工多能性幹細胞)を網膜に移植した70代の女性がいましたが、彼女の場合は、網膜を下から出てきた血管が傷つけたもので、その血管を取り除き、網膜にIPS細胞を灸張りしたものです。
若ければごくまれに自然に治ることがありますが、一般的には硝子体(しょうしたい)手術が唯一の治療法のようです。手術では眼のなかに気体を注入するので、術後数日間はうつ伏せの体位をとらなくてはなりません。先の女性も、「寝られなかった」と証言していました。
うつ伏せ体位は、つらいものですが、特に眠る際のうつ伏せ体位では、1時間と眠ることが出来ません。私も手術当夜は、それでも頑張りましたが、2日目からは諦めました。事前にうつ伏せ寝に適する枕をネットで購入して備えましたが、どうしてもうつ伏せ体位では眠れませんでした。
黄斑円孔は、今では手術によって90%以上は円孔が閉鎖するようになっていると言われていることから、がんばる甲斐があるのはよく分かります。重力の関係で、下を向くと入れたガスが上へ上がり網膜を適度に圧迫しうまく引っ付きます。このタイミングが大事なことです。ガスが早く抜けすぎても、圧着が不完全になります。
サクセスストーリのように円孔が閉鎖すると、直後から変視症は大幅に改善しますが、視力の回復はさまざまだそうです。私の場合ですが、術後6日経過しましたが、起立して外を眺めるとガスがまだ半分ほど下に残っていて、視力が回復したとは言い難い状態です。
先の「網膜剥離」がおこらないように、ガスが適度に網膜を圧迫している状態が必要なのです。事前のカンファレンスでは、通常術後1週間程度で、ガスが抜けるだろうとも言われています。失敗した場合の想定姿も、詳細に説明されています。
私の場合は今年正月6日に、ライオンズメンバーで白内障の施術後順調という人の紹介で、市内の眼科クリニックを訪ねました。ここでは問題視されず、次ぎに9月に再診を受けました。洒落ではありませんが、日に日に目に見えるように視力が落ちていました。ここで間髪入れず、手術をアドバイスされました。
このクリニックで阪大の生野恭司先生による施術を選ぶか、香川大学への紹介状で大学病院へ行くか。突然の選択を迫られた状態の中で、一瞬逡巡しましたが、「お願いします」と次ぎに答えていました。医大へ行ってまた一から検査を受けて、ぐずぐず1ヶ月を過ごすより、阪大の先生が施術してくれるなら、それがラッキーかなと考えました。
そして手術日が決まりました。先生が来院する日が既に決まっているようです。万一のことも考えて、会社や業界の一部の人には、手術のことを告げました。「頑張って!」と言われましたが、頑張るのは先生です。私は先生にすがるだけで、ただ施術中は、「これは戦いなんだ」と自分に言い聞かせて、身体を動かさずしっかと目を開けて頑張っていました。
その後の自宅療養でも、寝ている以外は、気がつく限り下を向いて生活しています。早く手術をするほど円孔が閉鎖する率は高く、視力の回復は良好だと知ったのは、この記事を書くために調べた記事からです。
手術は一刻を争うわけではありませんが、早く手術を受けるに越したことはありません。時間がたちすぎると、円孔は閉鎖しても視力はあまり回復しません。 (執筆者:河野 眞一郎)
14日(火)から仕事を始めます。視力はまだまだの状態で、失礼をする機会もあるかと思います。失礼の段は、どうぞお許し下さいませ。自動車の運転も、すぐには出来ないと思います。すべてにおいてならし生活をしながら、社会復帰に努めます。やはり目が不自由だという生活は、予想以上に何も出来ないものでした。