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稲盛和夫塾長の生誕地鹿児島の恐るべき発想のDNA
鹿児島へは、何度か来ています。しかし今回の鹿児島は、最高に面白かった。一番の収穫と言ったら怒られるけど、指宿白水館の代表取締役下竹原啓髙氏が面白い。私は寝込んでいたので参加していない2次会ですが、ここへ下竹原啓髙さんが来たので、盛和塾入塾を迫ったそうです。

ナンと名門温泉の大旅館の社長は、東京広尾に居を構えて単身赴任だと言うのです。「それなら東京塾へ」とお誘いしたら、入塾へ心が動いていたとか。話しはその数時間前の、薩摩伝承館での出来事に戻ります。この建物は、建築費が15億円というので、私は正直「しょうもない」と思いました。

「西の正倉院」の名乗りを許されたというので、さもありなんと思いながら入ってみました。入館料は部屋付けですが、確か600円とか言うのを遠くで聞いていました。私にとって面白かったのは、もちろん「京薩摩」とかではなくて、下竹原啓髙氏の話です。

氏はこの白水館の次男さんで、30年間三菱商事に勤務されて、ニューヨークで長く働いたとか。そのくせ三菱財閥の創業者で初代総帥、明治の動乱期に政商として巨利を得た最も有名な人物である岩﨑弥太郎のことをよく知らずに入社したとか。



この伝承館は、初代白水館創業者の父親の悲願でもあり、海外に流出していた薩摩や日本の芸術品で買い戻した作品を多く飾っています。氏が三菱商事を辞めて帰った時の2003年には美術館の設計図はもう出来ていたとか。その計画を1700万円の設計料を捨てて、今日の伝承館を建てたとか。

すぐにミシュランが来て、NHKの篤姫ブームが来て、ラッキーだったと氏は語ります。ここは鹿児島中央駅からも遠く離れています。ここへ来たら、宿泊は当然です。先の会合で、「知覧へ行きます」と告げたら、白水館がその先輩の口から出ていました。

一口で言うとこの建物は、多目的コンベンションセンターです。結婚式とか、コンサート会場に使っているそうです。レストランも併設し、もちろん2階は、美術館です。そして、明治維新に活躍した島津藩の秘密を語るのです。これが実に面白い。歴史の端では聞いていましたが、島津藩の密貿易が、日本の明治維新を支えた?

このあたりの話になると、午前中に見た「尚古集成館」も繋がります。なぜ島津が、近代兵器を作り、富国強兵へ向かったか。その秘密は、密貿易にありました。もっと掘り下げれば、密貿易を通じて知り得た世界中からの情報にあります。例えばアメリカの南北戦争で、北軍が勝ちそうだという情報も商材にしています。

こう聞くと、日本史と世界史がぴったりはまります。それはそうです、地球上でおこっていたことは、時系列では一つです。このような話しを聞くと、「歴女」の喜びも実感します。歴史は情報戦ですね、実に面白い。

そう言えば下竹原啓髙さんも慶応義塾大学だと言っていましたが、慶応大学の試験は、1600年以降の歴史しか出題されないそうです。今の日本に関係するヒントは、確かにこの時代から400年ですね。またよくよく聞くと、おもしろいわ。

宴会は勿論盛り上がり、鹿児島は時間になれば先に一杯やつても良いときいて、遠慮無くビールから焼酎まで頂きました。これも秘密ですが、社長から森伊蔵がプレゼントされました。私は一番に、「憧れのハワイ航路」を唱いました。知る塾生も多いあの時の、無念を晴らしました。

ここで私の本日の記憶は終わりですが、その後雷や豪雨で、大変だったそうです。雨は窓ガラスをたたきつけ、とても寝ていられなかったと聞きました。602号室の窓際のベットだったと聞きました。私は、502の窓際のベットでした。私は何も知りません。


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| 社長日記 | 09:18 AM | comments (0) | trackback (0) |

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