台風18号が日本へ接近し、国内を縦断すると言われている中、昭和50年卒と51年卒の中野渡ゼミの同窓会が、16日(土)銀座の九州居酒屋「慶州」で17時から開催されました。こんな台風が近づいている中、「やめたら」と言う意見もありましたが、そんなの関係ないと強がって上京しました。
台風の今の位置から、東へ行くのは問題ない(しかし揺れました)と思いましたが、問題は復路です。東京から台風の近づく四国へのフライトです。高松商運の久保さんから、たびたび電話があります。キャンセルしてもペナルティーはないようです。会場は、JR有楽町駅から東へ徒歩15分ぐらい、幹事の湯川正が長年のコネを使って、5,000円で仕切っています。ワインが飲み放題にあったのには、驚きました。
その湯川正ですが、これまでの苦労が表皮したのか、ダウンして陽子さんの看護を受けていました。彼同様に、私たちも嬉しくて、台風などに邪魔されたくないという思いです。僅か12人の集まりですが、誰一人として「もしかして」という連絡はありませんでした。LINEで、いろいろ連絡が飛び交っています。
このため私もスマホーを買い換えて、LINEに参加しました。今日は50年卒の7人に、夫人が2人、51年卒の後輩が2人参加してくれました。勿論最長不倒距離は高松から参加の私ですが、被災者の宮本嘉二夫婦も石巻から来ていました。彼らから、お土産をもらいました。私は例の瓦せんべいを持参して、おおいに笑いをとりました。
彼らとの縁は、20~22歳の人生において最も多感な頃の仲間です。参加者の一人大和哲夫は、中央大学法学部卒ですが、この会の準会員です。宮本嘉二の江戸川区平井の下宿にいた彼は、われわれの度重なる急襲で、司法試験に合格しなかったのです。彼の人生に大いなる影響を与えた、中野渡ゼミ員です。反省!!
「マツノさん来ているの、降りていらっしゃい」で宴会が始まっていました。初期は私と宮本嘉二の二人でしたが、そこに中野渡ゼミの悪友が、たびたび集まるようになりました。下宿人の宮本嘉二がゼミ長ですから、暗黙の了解です。私は、一週間分の洗濯に行っただけなのに。
ただし誰一人として、「忖度」して差し入れをする者もいませんでした。そんな中、母は素麺を送ってくれていたようです。宮本嘉二のところからも、届いていたようです。恐らく「小池家」では、家賃と宴会費は相殺されていた、いやいや持ち出していたと思います。でもおばさんは麻雀が強かったから、いつも勝っていたけど、出世払いか?改めて、小池ご夫妻の器の大きさに気づき、冥福をお祈りしています。
その小池夫婦には二人のお嬢さんがいて、おばさんらの歓待に誰が犠牲者を出そうと言うことになり、いろいろ画策をしましたが、この点は上手く成就しませんでした。小池夫婦は既に鬼籍入ってしまいましたが、家族はいま、横浜に居を構えています。実に太っ腹な、下町人でした。
さてさて本日の中心人物は、やはり企画実行してくれた湯川正ですが、先に述べたようにダウン。次はゼミ長の宮本嘉二ですが、彼は東日本大震災の災害からいち早く立ち直り、今でも漁業関係の仕事をしています。水揚げされた魚を、卸しています。大きな冷凍庫を持っていてその冷凍庫の上で、難を逃れたと聞いています。勿論旧社屋の冷凍庫ですが。
続いて遠藤素弘、福永晴雄、三浦慶明、岡田と続くのですが、どいつもこいつも濃いキャラクターを持っています。三浦慶明などは、横浜銀行から関連会社へ行って、あと5年70歳まで現役だと言うから驚きます。自営業の福永晴雄や宮本嘉二や私などは、70歳現役もあり得るが、サラリーマンの三浦慶明は凄い。
福永晴雄は腰の持病があっても、デザインの仕事で椅子から離れられない。三浦慶明も白内障の手術をしたとか、やはり40年の時間の経過は、それぞれの人生の過去と現在を如実に物語っている。さて明日はどうするか。香川県秋期高校野球も順延で、栗林公園での高校生茶会も中止。急いで帰ることもないのだが、台風18号が日本に近づいている。