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日本の開発協力の起源by渡辺利夫
オイスカ四国研修センター設立50周年記念事業国際協力講演会と、長いタイトルの講演会でした。副題に、「八田與一を中心として」と併記されています。渡辺利夫氏は現オイスカの会長ですが、拓殖大学の学長総長として有名な学者です。本日は、日本統治時代の台湾について、僅か40分ですが持論を展開されていました。

明治維新から来年で、150年を迎える日本。明治27年の日清戦争は、明治維新から僅か27年、国際社会にデビューしてよちよち歩きの日本が、大国中国に挑んだ戦争です。日清戦争に勝利した日本は、台湾を得ます。その台湾を日本は、児玉源太郎台湾総督や後藤新平、そして八田與一らを中心として、統治をします。

その統治思想というか開発思想が、今考えても世界的に優れた植民地統治手法であったというのが、渡辺利夫氏の論旨です。まず社会環境の整備から始めます。次に台湾銀行を作り、集めた金でインフラ建設をします。キールンから高雄の港までの縦貫鉄道を、この時作りました。三番目は、熱帯病の撲滅です。

また国立大学も、東大京大らに続いて台湾にも確か六番目ぐらいに作りました。台湾統治の際に、日本国内と同じレベルの社会にするという当時の日本人の心意気が現れています。そして「グリーン・リボリューション(農業革命)がおこります。稲作の改良改革です。日本へ輸出が出来るまでの生産量を、台湾でおこします。

そして大学卒業後直ちに訪台した、八田與一の治水開墾が同時に進行します。明治時代は、「公に尽くすという時代精神」だったと渡辺利夫氏は熱く語る。現代人のいかがわしさと、大きく異なる明治の先人の活躍を紹介していました。


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| 社長日記 | 09:47 AM | comments (0) | trackback (0) |

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