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島原ライオンズクラブ結成60周年記念式典&祝宴
長崎県島原ライオンズクラブとは、26年前の普賢岳噴火渦からつきあいが始まり、その2年後に友好クラブの契りを交わしました。普賢岳の噴火で、落ち込んでいる小学生を高松冬のまつりのイリュミネーションで輝く夢と希望の世界へ誘いたいと、高松栗林ライオンズクラブが仕掛けたものです。

先にも書いたように私が幹事で、その大役を担って島原へ来ました。会談の舞台は、今日の式典と同じ、南風楼でした。ここのオーナー村中さんが、当時のゾーンチェアパーソンをされていて、四国キャビネットからオファーを出して、彼は断れず「とりあえず会おう」と言うことになりました。

その相手中心メンバーが、島原LCクラブ内教育委員会の委員長だった、松尾錦二さんでした。彼はJCのメンバーとして、子ども派遣の難しさを経験していました。この時も、「万一のことがあったらどう責任をとる」と先輩会員に詰め寄られたそうです。そのくらい島原の被災生を、高松へ呼ぶことは、至難の業だった訳です。

無事に子どもらを高松から送り出し、私もほっとしましたが、二日目の食事時に、高松北警察から飛び入り慰問がありました。新聞で島原の子らが高松へ来ていると知った彼らは、当時の宿泊所JT研修所へ来てくれました。これには高松栗林LCメンバーも、びっくりしました。勿論子ども達は突然のサンタ登場で、大喜びでした。

時の浅田善太郎会長は、眠れなかったと思います。構想は素晴らしいものでした。災害で落ち込んでいる島原の子ども達を、イリュミネーションで輝く高松へ連れてくるのです。島原LCのメンバーは、公選で四国へ来る子を選んでくれていました。校内で送り出し式をして、バスは予定時間に島原を出発しました。ここから、福岡空港までの行程です。

バスで約3時間、福岡空港から空路1時間で高松へ入ります。当時は東亜国内航空でした。高松支店長が高松栗林LCのメンバーであり、稟議書を書いてくれて、大人半額、子ども無料でした。これはあくまでも結果論で、私が南風楼へ行った時は、「金の心配はするな」と浅田善太郎会長に言われていました。この強気に私の馬鹿さ加減が上乗せされて、頑固一遍の島原組を説得出来たのだと思います。

予定通り高松空港へ到着した飛行機から引き継いだのは、「平井タクシー」の編隊でした。これもいろいろな場面を想定し、ルートも1~3考えてありました。そして私の責務は、時間までに島原の子ども達を冬のまつりの舞台に立たせることでしたが、どうにか予定通り、舞台の中心に彼らは立って、スポットライトを浴びていました。

こんな過去の思い出にいつまで浸っているのも馬鹿の骨頂ですが、島原へ来たらどうしてもこの話題が中心となります。髭の鐘ヶ江管一元市長も、チャーターメンバーとして健在です。島原LCは、過去の130名が現在80名になったと言いますが、高松栗林LCも26年前の私が幹事の年は88名いました。言い訳をせず、一人ひとり理解者を増やすことです。

今回島原へ来て、私はおおいに反省しました。昨年11名をクラブとして入会させましたが、こんな機会に新人の多くを誘うべきでした。旅費宿泊費を負担してやっても、こんな機会にライオンズクラブの何たるかに触れて貰うべきでした。熊本で有名なブルーシャーへ連れて行くとか工夫も出来ず、私は、まだまだ未熟な人間でした。おおいに、反省した次第です。







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| 社長日記 | 10:07 AM | comments (0) | trackback (0) |

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