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まだ残る葬祭のしきたりが興味深い
数日前のことですが、社員の御尊父様の葬儀告別式が高知県高岡郡佐川町でおこなわれるとのことで、社長出張で私が現地まで出向きました。ナビで行きますから、迷うことはありません。早めに到着したもので、駐車場の心配もありませんでした。社員が、喪主を務めていました。20代独身です。掛けてやる言葉も、月並みです。大変疲れていました。

冠婚葬祭は全国津々浦々、いろいろなカタチがあるのですが、冠婚はどこもホテルのような会場ですることから、最近はさほどの違いは感じませんが、葬祭はまだまだその地の昔からのしきたりがあるようです。今日もその一部を垣間見たので、報告までにとりまとめてみます。

まず式次第ですが、会館入口の看板に10時30分開始、12時出棺とありました。おやおや弔辞の朗読でもあるのかと、まず思いました。通常の告別式は、1時間程度ですから、組織葬か社葬等が1時間半で、どうなっているのかとまず疑問に思いました。旦那寺が真言宗なので、読経が長いのか。

原因は、まず遺族親族の焼香にありました。一人ひとりが前へ出て、1基の焼香台の前に立ち横の鐘を3度叩いて、その後に焼香をします。同時に一般客の焼香も後方で始まりますが、こちらは3基の焼香台ですから早いので。打鐘もしません。焼香中も、読経が続きます。

それから「葬儀告別式が終わりましたが、喪主方のたっての希望で、続いて初七日の法要をします」。これが主因ですね。この変則初七日法要は、初めてのことで驚きました。私は、地方での葬儀告別式もおおいに関心があり、驚きをいっぱい経験しています。時系列がばらばらですから、今は習慣が消えているかも知れませんが、経験談を。

熊本市内では、13時からの葬儀告別式と聞いて瞬間「楽ちん」という葬式がありましたが、何とご遺体は9時から荼毘(市営葬祭場)に付されて、骨揚げ後に葬儀告別式でした。これも初めての経験で、大変驚きました。その後に納骨となり、その日は丸一日つぶれました。

次は逝去されたという知らせが届いてから、葬儀告別式が1週間後という横浜市のケースにも遭遇しました。また簡素化でしょうね、香典の受付窓口で中身の金額について聞かれ、「○○円です」というと赤い札をくれて、あのコーナーで現物と交換して下さいというのもありました。

確かに、遺族にとって香典の返礼作業は大変です。知らない人も中にはいて、住所もきちんと書いてないのもあります。福岡市内の大型葬儀告別式では、一切香典・供物を受け付けないというのもありました。こんな場合には、弔電を打っておくという秘策もここで学びました。

決して今日の葬儀告別式を馬鹿にするのではありませんが、地元にはない文化人類学なので紹介しておきます。まず最後のお別れで、お棺の中に生花などを入れますね、ここでは最後に4スミを釘打ちします。4スミと教えてくれたのは、参列者の一人です。それも叩く音が途切れないように、工夫があるそうです。高松市内では、蓋をしてそのまま釘打ちはせず、でも火葬場で蓋を開けることはしません。

そして三途の川を渡るお供の数と、衣装が奇抜です。男性は、い草で編んだ縁なし帽の深いのをかぶります。女性は白い布で、髪を覆います。自然に頭の上に置いているだけですが。それから、それぞれお供が持つ道具があります。

喪主の位牌や次の者の遺影は、どこでも同じだと思いますが、戒名を等身大に大書した紙を、竿に垂らします。提灯が複数有り、そのままご詠歌など詠い、火葬場へ行列する雰囲気です。昔は、そうしていたのでしょうね。

もちろん公営斎場へ行きますから、霊柩車やタクシーマイカーが続きます。ここでは故人が使っていたお茶碗の破壊は、習慣としてないようです。香川県長尾町多和という徳島県に近い山村では、遺族親族は男女問わず、額に白い三角紙をつけていました。ご冥福をお祈りします。


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| 社長日記 | 10:18 AM | comments (0) | trackback (0) |

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