■カレンダー■
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31       
<<前月 2024年03月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2250038
今日: 1796
昨日: 2220

自宅療養中の身であります上京はしていません
今月7日に、黄斑円弧左目再手術をして、例によって下を向いて生活をしています。当然のことですが、頸が凝って痛くて仕方がない。ひたすら下のそれもへそを見るようにある看護師さんに言われたが、別の機会に別の看護師さんは、爪先30㎝あたりの位置でも良いと言う、同じ下には違いありませんが、この二つの指導の結果は、やったことのある者には雲泥の差です。

昨日の小欄に、東京有楽町ビックカメラでの出来事に関しての記述をしていました。このことから私が、上京していると思ったという読者意見があって、私も驚きましたが、勘違いさせる書き方で、本当に申し訳ありませんでした。術後の療養もあることから、原稿も「タメ稿」をいくつか用意してありました。有楽町ビックカメラの内容も、その中の一つでした。

今月7日に再手術をした左目の術後ですが、一週間(医療用ガスが抜けるまで)は、飛行機搭乗禁止であります。手に、ガスが注入されているというからという注意書きが、はめられています。翌8日と11日の診察を受けましたが、目の中にガスが残っていて、その結果未だに成否の判断がされていません。先の手術では翌日検診で、「よさそうだ」と言った医師も、今度はさすがに慎重です。

14日(木)に、術後1週間検診があります。このあたりになると、ガスも適度に消えて、結果がはっきりすると思います。二度目は挑戦しましたが、流石に三度目と言われたら、今度はどのように答えるか、自分のことではありますが、決心がつきません。弱い自分であります。





さて本日のネタですが、大川周明著「日本二千六百年史」新書版です。著者は、昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家。熊本第五高等学校を経て東京帝国大学に入学し、インド哲学を専攻する。拓殖大学教授などを努める一方、アジア解放・国家改造の実践に奔走、軍部に接近し、革新将校との結びつきを強めた。

昭和7年、五・一五事件に連座し禁固5年の有罪判決を受け服役。昭和12年に出所すると、すでに勃発していた日中戦争から、さらに日米戦争へ突き進まんとする国家的気運の中で、アジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を精力的に展開、同14年(15年が皇紀2600年)に「日本二千六百年史」を上梓するや、官憲の弾圧を受けつつも、たちまち数十万を売り尽くすベストセラーとなる。

戦後、日本思想界の象徴と見なされ民間人ながら、東條英機元首相らと共にA級戦犯に指定されたが、精神疾患を理由に釈放される。晩年は農村復興運動などにも従事、昭和32年、72歳で死去。この本は、日米両政府が発禁にした歴史書の新書版です。



はっきり言って、読みにくい。ルビーを振ってある漢字も、意味が定かでない。昭和14年の同書は、もっともっと読みにくいものだったと想像する。それでも、よく分からないがなぜか面白い。この本自体は今年、2017年10月1日に発行されたものであります。新聞広告で見て、読んでみました。

その一部を紹介してみます。第24章、「徳川時代の思想界に於ける新精神」の中で以下のような記述がある。
ここに極めて吾人の注意を惹く一事は、徳川幕府に於ける政治家は、真実の政治家たる資格として、必ず哲学並びに史学を修めねばならぬと考えていたことである。吾人は之を今日の政治家と対比して、その甚だしき懸隔(けんかく:かけ離れていること)に驚く。今日に於いて哲学・史学は、ほとんど政治家の顧眄(こべん)だもせざるところ、時としては嘲笑の的とさえするところである。

しかるに徳川時代にありては、一国政務の局に当たる程の者は、必ず儒教によって確乎たる世界観及び人生観を学び、史学を修めて治乱興亡の跡を諳(そらん)じたる人であった。徳川時代の政治家が、経史の二学、之を今日の言葉で言えば哲学と史学とを修め、以て政治に最も必要なる社会現象に対する総合的判断を下すに足りるの素養を作らんとせることは、最も勝れたる心懸けと言うを憚(はばか)らぬ。プラトンは二千年の昔に於いて、政治家は哲学者ならざるべからずと道破した。

ご覧のように一部を紹介しても、骨が折れる文章であります。ただなんとなくですが、言わんとすることが伝わります。いみじくも議員年金の復活を、まず地方議員からやろうという国会議員の忖度が始まっていますが、議員のなり手がいないなら駄目だとは言いませんが、程度ものにしておくことが肝要ではないでしょうか。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=3986 |
| 社長日記 | 11:02 AM | comments (0) | trackback (0) |

PAGE TOP ↑