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明治150年何がめでたいby伊藤智永毎日新聞編集委員
正月6日の朝刊に、伊藤智永毎日新聞編集委員のオピニオンが掲載されていた。なぜだか切り抜きをして、会社の机の片隅に置いていた。不思議と、捨てられないそのタイトルだった。実は、「明治150年」を言い出したのは、安倍晋三首相である。

戦後70年にあたる2015年8月(2年半前)、山口県に里帰りした際、明治50 (大正7) 年は長州軍閥を代表する寺内正毅(てらうち まさたけ)、100年は叔父の佐藤栄作が首相だったと紹介し、「私は県出身8人目の首相。頑張って平成30年までいけば、明治維新150年も山口県の安倍晋三が首相ということになる」と語ったらしい。地元でのリップサービスか、本気か。

明治50年の1918(大正7)年は、シベリア出兵が始まり、初の大規模大衆闘争である米騒動が広がった。お祝いどころか、明治国家体制の曲がり角である。シベリア出兵には、後の日本軍の弱点が集約されている。大陸侵略、かいらい政権工作、虐殺、逐次出兵、撤兵の遅滞、戦争目的と戦意の喪失、国際的孤立・・・。

日清・日露の戦争を軍国明治の栄光とすれば、退廃と迷走と挫折はここに始まった。護憲運動がさかんであった当時にあって、寺内内閣は政党員からの入閣がない超然内閣(非立憲超然内閣と呼ばれた)であったが、マスメディアはこれを「非立憲(ヒリッケン)内閣」と称した。あの可愛い「ビリケン像」に、寺内正毅の顔が似ていたことから「ビリケン宰相」とも言われた。

明治100年の1968(昭和43)年は、高度経済成長真っ盛り。大学紛争もあったが、暮らし向きが豊になって米騒動の広がりはない。佐藤首相は、沖縄返還で戦後に幕を引こうとしていた。明治維新を青春物語として享受する歴史の消費の仕方は、大衆の欲望が支え、今や一種の国民説話になっている。歴史もまた民主化され、世俗化するのだ。

このあたりの文章は、今ひとつわからないので今日まで延び延びになっていたのだが、最後に吉田松陰のくだりは、わかりやすくて驚きだった。吉田松陰は、明治維新の主役を数多く輩出した陽明学者だが、尊皇攘夷の先に海外侵略の必要を説いている。これは、知らなかった。人には陽と陰、表と裏があると言うが、吉田松陰とて人の子だった。

「蝦夷を開墾し、カムチャツカ・オホーツクを奪い、琉球を参勤させ朝鮮を攻めて朝貢させ、満州の地を割き、台湾・ルソンを収め、漸次進取の勢いを示せ」だった。弟子たちの明治日本は、師の予言をなぞった。北海道開拓、樺太領有、琉球処分、台湾・朝鮮植民地化、満州事変、フィリピン占領。誤った先見性に、息をのむ。

明治維新は偉大な革命だ。でも美しい物語では、核・ミサイル、慰安婦問題で袋小路にはまる明治150年後から先を照らし出せない。安倍晋三首相の座右の銘は、吉田松陰の「至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり」。「晋三」の名は、松陰の松下村塾の門下生だった高杉晋作から付けられた。

山口宇部空港には、「平成の薩長土肥連合」と書かれた看板があるらしい。鹿児島(薩摩)、山口(長州)、高知(土佐)、佐賀(肥前)4県が観光客誘致で協力するためのものだという。「勝てば官軍」、明治維新で日本は世界へ目を向けて、今日があるという説は一面正しいが、それだけでもないというのをわれわれも知るべきだ。

全国の原子力発電所17カ所54基の大半が、賊軍地域に偏っているのも、靖国神社に祭られる功績者はどこの誰か、明治150年せっかくの機会だからこの1年、今一度歴史を振り返ってみたい。


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| 社長日記 | 09:13 AM | comments (0) | trackback (0) |

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