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天皇生前退位と神国・日本の秘密by中丸薫・其の一
「闇の権力」の日本占領を跳ね返すと副題のついた、国際政治評論家・中丸薫女史が書いた本書が、成甲書房から2016年12月に初版第1刷として上梓された。どこかで評論されていた本で、たいした期待もなく取り寄せて読んでみました。

ところがビックリぽん、聞いてはいましたが活字で読むのは初めてで、これから3回にわたり、そこに書かれていることを逐次紹介します。「闇の権力」の日本占領を跳ね返すためには、日本の秘密も公にしなければならないと言う彼女の思いからだと、私は考えました。

この本に書かれていることと、私が別の所から聞いてきた話も交えて、驚きを紹介します。中丸薫女史の父親・堀川辰吉郎氏は明治天皇と、大正天皇の母親(柳原二位局という側室)とは腹違いの、同じく側室の千種任子(ちくさことこ)の間に産まれた。つまり自分(中丸薫)は、明治天皇の孫だと書いてあります。

7世紀から平安時代にかけて日本で勢力を伸ばした藤原氏は、「日本書紀」のなかで、天下人の自分たちに都合の良いように歴史を書き換えた。彼らも中東地域を出発し、東へ東へと渡ってきたユダヤ人だった。ユダヤの、失われた十支族やその子孫は、ユーラシア大陸を歩いて移動した者たちと、船で海に漕ぎ出した者たちがいて、流れ流れて日本にやって来ました。

藤原氏が日本で権力をほしいままにする以前に、日本で力を持っていた物部氏や蘇我氏も、実はユダヤの人たち。藤原氏より先に、日本に到達したユダヤグループです。物部氏は、神道を取り仕切っていました。神道があるから、仏教を積極的に導入する必要はないと主張したのが物部氏ですが、蘇我氏に滅ぼされるのです。

その結果仏教は、国家宗教として導入されますが、皇室の周りでは、引き続き神道に基づくお祭りが執り行われ続けています。この神道に、さまざまなユダヤのしきたりや仕様が盛り込まれているのです。突然ですが、日本券1千円札の裏をご覧下さい。富士山が海に移っていますが、上下逆にしたら富士山に見えますか。シナイ半島にあるシナイ山ともホレブ山とも呼ばれ、モーゼが神から十戒を受けたとされるキリスト教の聖地の山だと私は聞いています。

今の皇室を考える時に、もう一つ大切なことがあります。これまでタブー視されてきたことですが、インターネットによる真実を捉えようとする潮流や、中丸薫女史など一部の地道な真実の語り部たちの努力が実り、今ではかなり知られた事実ですが。



それは、明治天皇が、イエズス会のフルベッキの周りに集まっていた明治維新の志士たちと一緒にいた「大室寅之祐」だったと言うこと。大室寅之祐は、南朝をひらいた後醍醐天皇の末裔です。勿論「歴代天皇総覧(笠原英彦著)」には、明治天皇は孝明天皇の第二皇子として嘉永五年(1852)に誕生したと書かれています。

北朝では、足利義満が自分の娘を皇室に嫁がせたり、ついには北朝の女性をはらませてその子を天皇に祭り上げたりしたのです。つまりこの時点で、男系の皇統がいったん途絶えているのです。神武朝とは、異なるものになってしまっている。

このことについて、長州藩にいた後北条家の末裔の志士や吉田松陰が、のちの明治政府の関係者になる人たちに、「やはり本来の天皇家の血筋に戻すべきだ」と進言したのです。幕末、南朝の重要性を説かれた伊藤博文や岩倉具視たちが、この大室寅之祐に徹底的に帝王学を教え込み、天皇に担ぎ上げました。

一方で、悲しいことに江戸最後の孝明天皇(1846~1867)は、35歳という若さで早世なさったことになっているが、抹殺されたと聞きました。明治政府を立ち上げていく中では、将軍家も激しい権力闘争に翻弄されました。13代、14代の将軍は早死にしています。そして一橋慶喜が、登場します。

無血革命は、幕府の勝海舟と薩摩の西郷隆盛のお手柄ではありますが、なぜそれが出来たかと言えば、その裏には大室寅之祐を即位させること、すなわち南朝の復活があったからなのです。後醍醐天皇のお墓のある寺に立て札があり、そこには「明治維新は南朝の確立」と書いてあります。併せて、後醍醐天皇を支えた15の家柄、楠木正成や菊池家などが書き連ねられています。

じつは、西郷隆盛は菊池家と同族なのです。西郷家は、南朝に使える武士だったと言うことです。当時あり得ないと思われていた薩長同盟が成立したのも、裏にはこの事情があったからと言えます。要は、「南朝の復活」がなければ、明治維新は成功しなかったと言えるのです。

さらに驚くことに大室寅之祐の生地、山口県田布施町は被差別部落になっているのです。大室寅之祐の家の田地田畑も、没収されています。家の形跡が残らないように、これも後の人が分からないようにするための隠蔽工作だったのではないかと中丸薫女史は書いています。

本日はここまで、次回は、同じ本の中から「其の二」をお送りします。これも驚きの内容で、真実かどうかは分かりませんが、別の所からも聞いた話の活字版です。こんなことも背景にあったのか、毎日新聞正月の記事、「明治150年なにがめでたい」の特集には。

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| 社長日記 | 09:06 AM | comments (0) | trackback (0) |

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