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戦前のガソリンカー復活を
少し前の四国新聞ですが、8月11日の地域総合欄に標題の記事が掲載されていました。記事に書かれているように、昭和初期(昭和4年は仏生山町に県立農業試験場が出来る1年前だが、工事は始まっていたように思う)に、高松市仏生山町(当時は香川郡仏生山町)と塩江温泉郷(香川郡塩江町)を結んでいたガソリンカーの〝復活〟を、香川高専高松キャンパス(高松市勅使町)の生徒数名が取り組んでいるという。

ガソリンカーは、戦争中の1941年に廃線になりましたが、当時働いていた高木オーナー(故人一宮町)は、働いていた人は、エリート意識が強かったと聞いていました。今更ガソリンカーですかと、記事に電話番号の記載がある村山淳さんに電話して聞いてみました。私は高松高専の受験に失敗しています。彼らには、憧憬の念が強い。

村山淳さんらは、ガソリンカーの〝復活〟を意図しているわけではなく、状況把握を考えているようだ。学生さんのやることだから、「自由」が一番の教育環境です。こだわりのない、足かせのない中で、いろいろな発想と、アクションに果敢に挑戦してほしい。具体的には塩江美術館に残せる復元車両の完成も、「出来たら」と言っていた。

彼らも予算がないことは十分理解している。高松市に話しても、ガソリンカーの復活は全く考えていないという。私も今「ガソリンカー」か、と思う。むしろ、当時のガソリンカー敷設事情の背景を知りたい。塩江温泉郷(香川郡塩江町)の温泉も、古い名泉ではあるが、松山の道後温泉のような圧倒的な人気もない。

昭和初期の日本で考えられることの一つは、「陸軍強化」。通勤通学の便や温泉湯治客への足の提供など、私は次の次の目的だったと思う。先に書いたように、昭和5年に、香川県営仏生山農業試験場が開場している。恐らく開場までに2~3年は係っただろうから、昭和4年に開通した「ガソリンカー」との関連はどうだったのだろう。

仏生山駅と塩江温泉郷(香川郡塩江町)の間、約16㎞を想像ですが、今のクルマで20分程度。ガソリンカーであれば30分係ったとしても、今はレトロとして受け入れられるかも知れない。しかし今も名前の残る「ガソリン道(県道仏生山駅平池線)」は一般自動車としてマイカーやバスの往来が多い。自転車も多い。ここに軌道を敷くとなれば、これは大変なことになると心配する。

塩江町地域おこし協力隊の、電話対応してくれた村山淳さんら若者、頑張って暑い夏に負けないで、楽しんで下さい。


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| 社長日記 | 08:39 AM | comments (0) | trackback (0) |

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