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2009,04,30, Thursday
経済危機に陥っている米国自動車業界ピック3の一角、クライスラーが連邦破産法11条(日本の民事再生法に類似)の適用をニューヨークの連邦破産裁判所に申請したと報道されています。言われていた「経営破綻」が、現実のものとなったのです。
このことを私は、50年後の日本を象徴することのように心配をします。自動車と言えばアメリカの五大湖沿岸のデトロイトなどの都市を想像します。80年間、自動車王国アメリカでした。大型自動車で、富めるアメリカの勢いをこれでもかという威風堂々とした風貌の自動車でした。印象的なのは「ジープ」ですかね。 それが今となっては、省エネタイプの日本のエコカーに押されて、販売減・生産減・人気減と衰退の道を辿ってきました。ゼネラルモーターズの行方にも暗雲が立ちこめています。アメリカの自動車業界は、大衆が必要とした車を作れなくなってしまったのでしょうか。 確かに現在の日本車の世界での評価は非常に高いものがあります。物作り日本の象徴が自動車です。世界中の評価は、デザイン性ではなくて壊れないこと故障が少ないことにあります。 10年を過ぎても快適に乗れる車が日本車です。次はアジア・ヨーロッパの自動車に追いつき追い越されるのでしょうが、日本の底力「工夫」の産物の開発を弛まなくお願いしたいところです。
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2009,04,29, Wednesday
私の家は仏生山町ですが、自治会名は「出作(しゅつさく)1丁目自治会」に属しています。そして会社の住所が、高松市出作町です。全ての偶然が貴方へと続く、どこかで聞いた歌の文句のような話しです。
ところで今日は、久しぶりの懇親会です。自治会も13件と少ないのにも拘わらず、日頃一杯やることもなく、葬儀告別式で顔を合わせる程度です。私は総会へも出席していないので、本当に久しぶりです。 特に日頃高知県内で仕事をしている畠山修さんや、小松正一さんの間に割り込んで、昔の話しをお伺いしていました。少ない世帯ですが、神社仏閣の当番などには「まさか」の団結力を発揮します。 また徳栄堂さんの跡にご自宅を構えた、佐伯博英ご夫妻と1歳半の子供さんも初参加でした。小さな子供がいなかったところへ、宝が現れた感じです。 ![]() ![]()
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2009,04,28, Tuesday
高速道路の計画や建設を審議する国土開発幹線自動車道路会議(国幹会議)が27日、およそ1年ぶりに都内で開催され、四国内でも暫定2車線で運用されている高松自動車道、高松東―鳴門間約52㎞の4車線化が了承されました。
どこまで必要なのか「高速道路」とも正直思いますが、この高松東と鳴門間は、関西方面への路線バス等で、渋滞が起こるほどの通行量です。私も鳴門への釣り、関西空港へのマイカー移動等でよく使う路線です。 4車線化は10年ぶりのことですか。小泉改革で凍結されていたものが、世界金融危機脱却の追加措置として予算化されたものです。嬉しいような、しかしこの財源は赤字国債です。借金で投資をするものです。要するに今を良くするために、将来にツケを回すものです。手放しでは喜べません。 政府は日本券をどんどん印刷すれば事足りると言います(正確には日銀が日本銀行券をどんどん印刷して、それで国債を買います)が、デノミネーション(例えば100円を1円に換算する)をやってハイパーインフレーション(物価を極端に上げる)に政策をとると、100兆円の赤字国債もたちどころに償還できるといいますが、それに振り回されるのは紛れもなくわれわれ国民です。何だかよく分かりませんが、何か変だなと思います。
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2009,04,27, Monday
毎年この時期になると農業用水路の清掃を、各土地改良区(農家を中心とした組織)と地元衛生組合(町民代表)が共同して行います。
会社の回りや管理物件の周辺などは、島谷康平や橋本聖史や内田裕規が金曜日に行いました。土曜日が雨模様で、本番の日曜日の前となると金曜日しかないと相談したようです。 私は実務研修が終わった土曜日の午後からと考えていましたが、雨の関係で夕方近くになってしまいました。昨年は出来なかったのですが、今年は衛生組合長(16世帯の代表)でもあって、自宅の回りの水路清掃をしました。 運が悪いというか、わが家の玄関前の水路が、ここから左へ曲がっているのです。よってここがよく詰まるのです。今年も1㍍弱の角材が、堰を作っていました。発泡スチロールなどの箱も堰を作る素材の一つです。 また今年は懐中電灯を持ち込んで、遠くまで確認して届くところまでは清掃が出来ました。何だか心の詰まりがとれた気分です。 ![]() ![]() ![]()
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2009,04,26, Sunday
標題の記念行事の日でした。とにかく「寒い」の一言です。北海道では季節はずれの豪雪ニュースが流れています。日本中が寒気団に包まれて、春だというのに雪が降っています。
昨年の記念行事は確か5月開催だったと思います。1ヶ月早いのと春の嵐で、準備側は大変な心労です。一般参加者も例年の半分と言われています。強風のため、パラシュート降下など一部のプログラムは中止になりました。 私は風が強くて寒いので、一般招待客用の「桟敷」へは上がらずに、今まで見たことがない舞台裏を見て回りました。 圧巻は「乃木記念館」でした。明治32年(1899年)第11師団の初代師団長(中将)に親補せられる。乃木希典大将がここの初代の師団長です。築後110年と言われる木造洋風建築物の2階に、記念資料が展示されています。この記念館は、駐屯地本体の敷地とは少しだけ離れたところにあります。 偶然ですが、「乃木記念館はどちらにありますか」と制服組に聞いたところ、「ちょうど私も参ります」と言って案内して下さいました。距離にしてわずか400㍍程度ですが、歩くのが速いのなんの、私も速いほうだと言われますが、駆け足でついていきました。 すれ違う自衛官がみんな敬礼をするのを見ると、この案内人は相当地位の高い人かと思いますが、そんな人もやはり自衛官は体を鍛えているのですね。感心します。 その資料の間に、「水師営の会見」の写真がありました。日露戦争終戦の会談で、乃木大将とステッセル中将らが一緒に写っている一枚の写真です。 旅順攻略戦後にロシア軍旅順要塞司令長官アナトーリイ・ステッセルとの間で水師営の会見が行われた。そこでの乃木の紳士的で寡黙な雰囲気は、諸外国の記者が持つ日本人観に大きな影響を与えたといわれている。乃木はステッセルらロシア軍幕僚にも帯剣を許し、従軍記者たちの再三の要求にも関わらずロシア軍との会見風景は一枚しか撮影させず、彼らの武人としての名誉を重んじた。 乃木の姿勢は世界中から賞賛され、日本の国際的地位すら向上させたことから、やがて乃木は「旅順の凡将」から、東郷平八郎とならぶ日露戦争の英雄となり、その後、長く軍人精神の具現者と見なされるようになった。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 良い体験をした駐屯地開放記念日でした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
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