2014,03,31, Monday
いよいよ期末3月31日になりました。すっかり春めいた気候です。高松でサクラの標本木が、満開と伝えられています。春特有の、とろっとした空模様です。テレビラジオで言われているように、明日から消費税が8%に値上がりします。稲盛和夫塾長は、「一升買い」と言って必要な量だけを買い求めるように塾生を指導されています。
私も2人で暮らしていて、まとめ買いは全くしていません。食べるのも少々使うのも少々と、消費税が上がるからといって、何の変更もありません。ただ一つだけ、昨日4月のバス予約を入れました。その際に月末までの料金と、4月からの料金の両方を言われたので、回数券だけそれも1セットだけ、本日買いました。 30日の日曜日には、ホームセンターへ行きました。別段増税を避けてのことではありませんが、店内は大勢の人で一杯でした。人の心理とは、面白いものですね。高松市瓦町の「コトデン天満屋」も、今日まで閉店セールをしていました。見に行きましたが、こちらも大勢の人でした。これは次ぎの小欄に、掲載します。 さて本日のネタは、「従業員をやる気にさせる7つのカギ」稲盛和夫塾長の今年2月に上梓された本です。私はすっかり気に入って、後継者らへ新たに買い求めて配りました。愚息などは、私が読んだ本は読もうとしません。「やってしまえ」と意を決して、新しく買ってくれてやりました。 会社を経営していくうえで重要なことは、いかに従業員をやる気にさせるかです。経営者が一人でいくら頑張っても、出来ることは知れています。会社を発展させていこうと思えば、自分と同じ気持ちになって、一緒に仕事をしてくれる従業員が必要になります。従業員が自分の会社と思い、一生懸命働いてくれるからこそ、会社は大きく成長していくのです。 こんなことが書かれてあります。 要諦1 従業員をパートナーとして迎え入れる 要諦2 従業員に心底惚れてもらう 要諦3 仕事の意義を説く 要諦4 ビジョンを高く掲げる 要諦5 ミッションを確立する 要諦6 フィロソフィを語り続ける 要諦7 自らの心を高める その後のページには、塾生の質問に稲盛和夫塾長が答える「経営問答」が挿入されています。この経営問答は塾生には当たり前になっていますが、塾生外は新鮮だと思います。経営者の、切羽詰まった状況下での質問です。今のあなたに、必要な答えがあるかも知れません。 日本経済新聞出版社・定価(本体1600円+税) お買い物の一例 |
2014,03,30, Sunday
安西愈支部長とクレメントホテルで会食後、支部長を1軒だけ高商OBがよく来る店へ誘いました。山口富士雄先輩も帰り支度のところ引き返してくださり、3人で楽しい時間を過ごしました。丁度その店の奥に、高商のOBがいらっしゃるというので挨拶へ行きました。
その席に、ヤンマーエネルギーシステム㈱高松支店の佐藤吉範支店長が、同席されていました。私がヤン坊マー坊天気予報の話しをすると、「その通りですが、3月末で終了します」と寂しいことを言われました。驚いたのですが、酒の席のことで忘れていましたが、新聞に終了告知記事が出ていました。 これは私の勝手ですが、浅草雷門のパナソニックの大ちょうちんと、ヤン坊マー坊天気予報は、どんな時代になろうとも止めないと思っていました。以下は2011年4月26日の小欄に、私がヤン坊マー坊天気予報の経緯が長々と書いています。ウィキペディアフリー百科事典で勉強をしました。 「一度かかると止まらない焼玉発動機」という当時のうたい文句で、エンジンは日本中の漁港で使われることになりました。漁師はエンジンが止まったら、板子一枚下は地獄です。ところが青森の漁師が、嵐の中、漁に出かけたのです。 みなさんの想像通り、船は難破し、当然エンジンが止まってしまいました。漁師の相続人は、販売会社を訴え、当然賠償すべしという判決が出ました。それを山岡孫吉は、代わって自分が損害金を支払、遺族に詫びをしました。 爾来山岡孫吉は、「ヤン坊マー坊天気予報」を、会社が続く限りやり続けるように託して昭和37年、逝去したのです。いくら性能がよいエンジンを搭載した船でも、嵐の時に船出したらひとたまりもありません。安全を確認して出漁して下さいという、山岡孫吉の精神が今日まで続いているのです。 今の経営者もこのあたりの経緯は、よく承知していることです。少しずつ変わらなければ企業の存続はありません。弊社にあっても「似顔絵看板」が、お洒落な「MIKE」に変わろうとしています。追い求めるコーポレートガバナンスから、イメージ対象が変わりつつあるとは思います。 弊社の「似顔絵看板」と、ヤンマーのヤン坊マー坊天気予報とは比較になりませんが、時代は変わるのです。少しずつ変わらなければ、企業は存続できないのです。ラーメンの味を毎日進化させるのと同じです。味が変わらないねと言われるのは、日々少しずつ変えているのです。毎日同じだと、「味が落ちた」と言われます。 既報のヤン坊マー坊天気予報 |
2014,03,28, Friday
高松丸亀町商店街振興組合理事長の古川康造氏が、テレビ画面の向こうに登場しています。村上龍氏との掛け合いも、どちらか一方に軍配を上げるとすると、古川康造氏が上のようにも映っています。そのくらい堂々と、中央商店街の再開発について話をしていました。
同じところに住む同じ年頃の男が、全国区でここまでやってくれると、涙が出るほど嬉しい。古川さんはテレビに出たからと言うのではありませんが、よく存じあげています。野田屋電機のけんちゃん(先輩ゴメン)の弟さん、次男坊さんです。この2人を見ていると、実に適材適所、棲み分けが出来ています。 最近では、古川康造氏も売れっ子セミナー講師の感がありますが、1988年の瀬戸大橋開通後の中央商店街のシャッター通り化を防いだ男として、全国区の中央商店街再開発の達人として、高松丸亀町商店街へは、年間1万3000人もの見学者が来高しています。 1日に6組の来高もあったようですが、地元の経済活性化のために、素通りの見学者へは、説明をしないのを原則としていると聞いています。通常は、昼からの現場見学会と座学で、その日は高松で宿泊というコースです。朝が得意でないのも原因かな。 集団で来てお泊まりを頂けると、飲食店が潤います。古川さんは最後のところに、「需要」と「供給」という言葉を使ってコミュニティーのあり方を語っていました。一口で言うと、居住人口をまず増やす。するとそこへ供給するための店が、自然発生的に誕生しだすというのです。 ここ高松丸亀町商店街の再開発が、実施計画後(その前に時間がかかっている)わずか4年で出来たのは、ガキの頃からの「おいお前」の関係がもとにあったことと、「全員参加型同意形成」を条件とした、定期借地権活用にあると思います。 土地の所有と使用を分離するという定期借地権活用に、試行錯誤の果てにある意味の活路を見いだしたのだと思います。何とかしなくてはいかん。しかしそもそものきっかけは、前理事長鹿庭幸男(一昨年88歳で逝去)氏の「(繁盛している)今のうちに、没落している商店街を見に行け」というアドバイスでした。 まだ高松丸亀町商店街が元気だった頃に、当時の指導者は、次を見据えていたのです。その点は古川康造さんらも、実に素直だったのでしょう。1988年の、瀬戸大橋開通と共にバブル景気が岡山の方から高松へ上陸したと言われています。 高松丸亀町商店街の周辺でも地価が高騰し、駐車場の賃料が、月額5.5万円になったと回顧していました。そんな中、平成3年に最初の計画書が誕生したのですが、紆余曲折を経ながら、それが「定期借地権」を活用するという手法でした。 土地の所有と使用を分離し、偏った業種を買客の要望する業種へ変えて、再生を図るというものです。土地所有者単独店であれば好きな商売、つまり儲かりそうな商売をしたがります。つまり買客目線ではなく、提供側都合の店作りになってしまっていました。ここでは紹介されませんでしたが、商売替えをした会員も多くいました。 ここに定期借地権が登場しますが、正式には「定期借地権」が平成3年に法案が成立し、翌平成4年から施行になりました。定期借地権は3つあって、目的に合わせて使い分けをします。しかし、いずれも契約期間が満了すれば、必ず地主の元に土地が帰ってくると言うこれまでの「借地権」とは全く違う法律です。 つまり誕生したばかりの新法を使うのです。そのため地主の多くは、一旦貸したら帰ってこないこれまでの「借地借家法」が頭にあって、定期借地権活用の説得(27人の地主)は大変だったと思います。それでも「圧倒的賛成派」が「消極的反対派」を凌駕したのです。街と一蓮托生、正しい村八分と当時を振り返る古川氏。 一般定期借地契約の年限を62年間(法律の規定で60年以上となっている)とし、工事期間が2年あって、60年の人間の還暦期間程度で1つのビジネスモデルは完結するという考え方です。その次のまちづくりは、次の人が考えたら良いという発想です。ある意味押しつけはしないで、緩やかな合意形成をやり続ける揺らぎも良いですね。 ところで高松丸亀町商店街の成り立ちは、420年も前からのことです。人が集まり商店街が形成された。1000人が生活する空間から、バブルの地価高騰もあって、若者は郊外に居を構えて高齢者の店主ら75人が居住する街になってしまった。 店舗のシャツターが午後7時に、また定休日には閉まっていました。今では、500人が居住する商店街になっています。また定期借地権付分譲マンションも、80㎡で2,500万円という、一般的な土地付き分譲マンションより安い価格のマンションも店舗の上に完成しています。 古川康造氏は番組の中で、成功の秘訣は「地域のコミュニティー」があったことだと力説していました。店舗の上に診療所を作り、その上に定借マンションを建設分譲します。傘要らず、歩いてすべてが賄えるコミュニティーのあり方は、まさに自分たちが80歳になった時に必要なものを備えるという発想です。 「不在地主」にも、鋭い指摘をしていました。明日の小欄ネタの「マッカーサー道路」も住民を巻き込んでのまちづくりという発想をはじめてから、コミュニティーが新たに形成されて、道路が誕生します。道路の上のマンションに、地権者が等価交換で居住します。日本全国どこでも、不在地主には、村八分も通じません。 |
2014,03,27, Thursday
高商紫雲会東京支部の安西愈(まさる)支部長が、講演のために高松へ入るという情報を得て、真鍋健彦会長から号令がかかりました。ごくごく内輪での食事会と言うことで、投宿先のJRクレメントホテル高松へ出向きました。総支配人から挨拶を受けて、ビックリしました。
安西支部長は、つい今月4日の66回卒業式に、来賓としてご臨席を頂きました。今年から卒業式に、東京支部と大阪支部の代表をお呼びするというになりました。むしろこれまで、お呼びしていなかったことが不思議なくらいです。高商の歴史は130年で、どうして66回卒業式かよく分かりませんがそう書かれています。 安西支部長は、東京銀座で「安西法律事務所」を開業されている弁護士さんです。高商から労働基準監督署へ就職されて、その後に中央大学の通信課程を卒業し、弁護士登録という少々変則な過程を経て弁護士になられた偉大な先輩の一人です。 私が感心するのは、80周年を迎えた東京支部を再編成された功績です。初代の3役は、鈴木祥枝東京海上火災保険社長、松本昇資生堂社長、鎌田正明商工中金会頭と聞いています。停滞気味だった東京支部をここ数年で、飛躍的な改革が行われ、在学の時のようなクラス会的民主的な横一線の運営が行われています。やはり支部長一人では、専業でないだけに荷が重いのです。 また東京支部は、役員定年制を敷いており、安西支部長も都合6年の任期で、来年の総会を最後で退任と言われています。時間を掛けて若者(とは良いながら70歳代の若者)へ、役員を譲っています。さは申せ高校のOB会ですから、現役中は、なかなか中心的役割は無理です。ここも、60歳スタートのようです。 私も本校紫雲会の役員の末席におりますが、地元生活者としてOB会を盛り上げたいと考えています。同時に別組織でありますが、紫雲会奨学会も再編成されて、ここでも募金活動が熱気を帯びています。役員ではありませんが、OBの一人として、協力もさせて頂きます。 また弊社にも高商卒業生の2人が、アパートマンションなどの賃貸斡旋のエースとして活躍してくれています。山本智春さんと新宮加奈さんの2人です。高商は私の印象でも、女子が優秀です。横山賢治校長によれば、この傾向は今も変わらないようです。 話しはそれますが、過日ラーメンの特番を見ていて感心したことがあります。「美味い、10年間味が変わらない」と客に言われた店主は、にんまりするそうです。毎日ほんの少しだけ味を変えているから、客は美味いと感じる。変わっていなければ、「味が落ちた」と言われるのだそうです。深い話しです。 「就職も進学も出来る高商」がチャッチフレーズですが、実に上手い表現だと感心しています。生徒が歓喜乱舞するような高校生活環境を作ることが、教師は当然のことですが、OBも口は出さず金を出すとか、陰ながらの協力が出来るはずだと考えています。 7月の第1土曜日(今年は5日)が、東京支部総会です。また駆けつけたいと願っています。昨年は本当に久しぶりの岡田一博や増田裕一さんに会えました。またその前の6月14日が、大阪支部総会です。こちらには初めての参加になりますが、押しかけて行くことにしています。 企業も学校も組織も、毎日切磋琢磨してほんの少しだけ良くなるように変わっていく。就職の高商が、今では進学校です。弁護士がいたり医者を排出したり、県会議員も都築さんがいます。雨天練習場建設募金で4千万円余を集めました。ほんの少しずつ、良くなっていって貰いたいものです。 |