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何もなくて豊かな島カオハガン島のフィナーレ
今から数時間後に、カオハガン島を船で出ます。予定では3時に起床、3時半には出航と聞いています。ここで大波をかぶると先人の湯川正から聞いています。従って私もここは覚悟しています。空港で着替える予備も、用意しています。来るときも波がドンブラ、もうここは慣れました。

最後の1日でしたが、私の関心事は、まず日記を上げること。これは今回ほんの少しですが苦労をしました。否定語は禁句ですが、思わず使ってしまいます。日記も連続して12年ぐらい毎日書いていると、書かないと(上がらないと)何だか調子が悪いのです。

特に海外へ出たときは、アップすることに情熱を燃やします。今よりもっと困難な時、場所が有りました。それでも何とか毎日(遅れる日もありました)上げてきました。今では読む方も真剣ですが、書く方もますます真剣になっています。特に即今、千名の皆さんがここにアクセスされています。

私からすれば、皆さんの大切な時間を申し訳ないと思っています。日本にいると8時くらいに上がるはずですが、そうも行かないときもあります。朝からのせめぎ合いもあります。しかし12年も経過すると、何で覗きに来るの?もう良いでしょという気にも正直なります。

やがて動画も紹介できると思いますが、ここはとにかく文章だけでも上げることです。それが私が元気だという証明になります。ここフィリッピンは治安もそう良くはありません。心配してくれる人も1人か2人はいると思います。私の毎日は、拙文ですが毎日アップすることです。

今日も島民の皆さんの生活ぶりを、つぶさに見てきました。午前中は小学生たちの健康優秀者の表彰でした。村長やら、その父とか、また観ている人の数が半端ではありません。島を上げての学習参観日のようです。こういうパフォーマンスを、フィリッピン人は幼少の頃から得意ですね。

健康優良児コンテストは、カオハガン島ステージという場所があって、そこに120人の小学生が全員集合しています。カオハガン島の人は音楽が好きです。島全体の電気は15時からと決まっていますが、学習用の小学校の電気は別のようです。

これも日本へ帰ったら、動画で皆さんへ披露します。昨日の誕生日パーティーも盛り上がりました。誕生日を迎えた子供の親は、感謝を込めて大勢に大判振る舞いをします。みなさんに誕生日を祝ってもらうわけです。これは西洋の習慣のように言われています。

午後からは島のスターのきひ語りを堪能しました。48歳でイケメンの「ランド」、9児のパパです。彼自らワンルームのマイホームで、どうして9人生まれたかをギター演奏の合間にガソリン(ビール)を飲みながら語ってくれました。彼の子供さんは年長さん22歳、3人の子供をハイスクールへ行かせたと意気揚々でした。

このように私ははじめてカオハガン島へ渡り、その現状を見てきました。髙松栗林ライオンズクラブが結成50周年記念アクティビティーで、カオハガン島の図書館へ初めての寄贈をして、子供たちはこれを使ってくれています。本当に「役に立ったか」、もちろん大いに役に立ったと確信しました。

図書館へは別の思いも託し、稲盛和夫塾長の本も新たに贈りました。すぐには読めなくても、3年5年10年後には必ず読んで、その気になってくれる若いパワーが台頭してくると思います。その時では間に合いません。今贈っていて、その時に読んでくれたらありがたい。

この時期のカオハガン島は天候不良で、今夕初めての夕日を見ました。ドラム缶風呂も見ました。島の水は基本的には雨水です。飲むのはミネラルウォーターを買いますが、風呂は海水です。それを沸かして入ります。夕日を背に、ビールを飲みながら入るのがツウだと女の子に言われました。

ここは確かにリピート客が多い。私のような初心者は、逆に少ないのです。それも女性が圧倒的に多いようです。女性は、ここでも元気です。

島のパン屋さん





若者が村長

カオハガンキルト 崎山克彦オーナー

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| 社長日記 | 06:24 AM | comments (0) | trackback (0) |
何もなくて豊かな島カオハガン島
日にちがずれているようにも思います。勿論日本との時差はありますが、日にちを間違えるほどの距離ではありません。今日は7月29日火曜日です(本当は30日水曜日)。とにかく日記をアップできたことに感謝です。これでも水面下の白鳥のように、バタバタと居場所や方法を模索していました。

Wi-Fiの電波が弱くて、島のあちらこちらへ移動して、フォックスハンティングをしているような状態です。しかし初心者の私には、的確な場所が分からず香織さんの言うままに、母屋前の木の麓で昨日の第一報をつなぎました。現地時間昨日の6時前のことです。かろうじて繋がりました。

しかしその後はトラブル続きで、写真が上がったのは昼過ぎでした。上陸時の艱難辛苦(ちょっとオーバーでした)の写真を掲載しようと考えましたが、一番の難所に差し掛かったときの写真はありませんでした。それはそうです、捕まっているのが精一杯で、写真撮影の余裕はありませんでした。

瀬戸内海では、当然停船命令が出ています。鳴門でもこれほどの波は知りません。以前書いたように、沖縄の峩洋はこんなものでした。これが当たり前のように、小さな船は出ていきます。レーダーもありません。瀬戸内海では遊漁船も機械武装しています。何でもありません、釣り客がそれを求めるからです。

カメラは水中カメラですから、大波をかぶっても問題はありません。しかし私の腕では、そう劇的な映像は望むべきもありません。それでも4枚ほどアップしました。しかしこれにも時間がかかりました。電波が切れ切れです。おまけにパソコンの電池も、残量が多くありません。

カオハガン島で電気が使えるのは、17時から23時までの6時間だけです。昼間は使用が出来ません。自家発電装置ですから、島民エリアも含めて23時までの使用です。それでも島民エリアに実に立派な家があり、中を見せてもらいました。何とカラオケ機械がありました。一曲2ペソだそうです。

島民の生活も改善が見られると、訪問9回目の大和が言います。島民エリアとゲストエリアははっきり分かれています。境界線とかゲートがあるわけではないのですが、暗黙の了解で小学校を挟んで分かれています。崎山克彦さんの20年にわたる指導で、住民の意識は貧困からの脱出魂は一歩も二歩も上がっています。

小学校は2年生まででしたが、崎山克彦氏らの努力で今は6年生までここで勉強します。それから、隣の島の中学校へ、高校はその先のセブ島のようです。島民の子沢山は、5人が普通です。小学校の卒業もままならなかったカオハガン島の子らは、高校から大学までまだ多くはありませんが進学する者が出ています。貧困からの脱却は意識改革ですが、その方法の1つが高等教育だと私も思います。

島内宿泊のゲストも、徐々に増えています。日本からのリピート客がほとんどですが、台湾・韓国・中国と、翻訳本が出たり、DVDの普及も確かに効果があるようです。カオハガンキルトの内外展示販売会も、日本各地やアメリカで開催されています。しかし開催が増えると頭の痛い問題も山積します。

キルトは、島民が3ヶ月ぐらい掛けて大きいものを作ります。展示会用で、仮に50枚売る計画を立てると、80枚ほどの大型キルトの用意がいります。この80枚は、ここを運営する組織が先買いします。そうして島民の生活を守っているわけです。何とも涙ぐましい、原理原則に沿った運営がなされています。

崎山克彦氏の方針書には、「カオハガン・(ゲスト)ハウス」を運営する目的は、カオハガン島民の暮らしを、将来に向かって持続的に、安定、向上させ、そして、「自立」につなげることです。だから宿泊費も、決して安くはありません。稲盛和夫塾長の「値決めは経営」が崎山夫婦にはすでに浸透しています。

具体的には、島民の働く職場を創造し、仕事の技術を学んでもらいたい。そしてそこからの利益を、本来は「社会的共通資本」であるべき島民の福祉、衛生、医療や教育などのために使いたいと言うことです、と力強く宣言しています。この活動を、自分がこの島の所有者となってからの20年間、営々と続けています。

本日はフィリッピン国の祝日で、ここの学校も休みです。明日図書館へ行き、髙松栗林ライオンズクラブが結成50周年記念アクティビティーで寄贈した図書を見てきます。この記事が無事アップできますように、お祈りして本日の原稿は終わりにします。繋がるか繋がらないかのせめぎ合いをしてます。

追伸。24日から、先に来ている山崎さんはこれまで朝日も夕日も見られていないとのことです。ここカオハガン島も気候変動がおこっているのかも知れません。涼しい、窓を少し閉めないと風邪をひきそうです。長袖が役に立っています。ここコテージは風の抜け道があるようです。



すっかりカオハガン島に馴染んでしまいました。夜は23時に消灯になります。ここカオハガンには、古馬場もパパラギもありません。心静かに本を読んで、寝付くだけです。手元にガラパ系携帯電話と、ベッドライトを置いて。こんな不自由な生活にも慣れました。

本日はゲスト全員で、シュノーケリングに行くという計画にしています。昼から雨の予報で、10時から行きますが、その前に図書館へ行かねばなりません。9時から図書館へと言われています。塩爺が作ってくれた「横断幕」を用意してきました。

小学校の先生も参加し、日本からのゲスト(一般宿泊客をここではゲストと呼びます)も加わり、記念撮影です。カオハガン島の子供は、授業中です。決してこのような席に呼んではなりませぬ。それにしても先生が加わってくれたのは、大感謝です。図書は本当に、喜んでくれているようです。

崎山さんによれば、髙松栗林ライオンズクラブからの寄贈図書を選んで下さった女性が、来年にはこの小学校に赴任するやも知れないと言うことです。「こんなに小学生がいたら、中学校を作ったら」と私が進言したのですが、崎山さんは言葉を濁しました。ここには村長をはじめ、議員が7人いるそうです。

失礼な言い方で申し訳ありませんが、私の居住する香川県下に限り「貧乏人の子だくさん」という表現があります。ここカオハガン島で、適切な表現かどうか疑わしいのですが、就学前のちびっ子がまだ多くいます。数の力から言うと、中学校が出来ても不思議はありません。

ここでシュノーケリングの話しに、話題は飛びます。私は海は釣りぐらいで、泳ぎやましてやシュノーケリングなどしたことがありません。しかし還暦組は、いつやるの「今でしょう」しか考えていません。果敢に挑戦するも、予定通り不様な格好をさらけ出しましたが、これは自分の中の想定内です。

マスクをしても、上手く息継ぎが出来ません。「あ・い・う」の順にホースを口に含み息をするのですが、「おえー」が来てしまいました。私は口にものを入れたら、ケースバイケースですが「おえー」となってしまうときがあります。還暦を過ぎてもそのメカニズムは分かりません。歯を磨いていても、突然「おえー」が来てしまうことがあります。

一番困るのは歯科医での治療中です。これも口を開けて、器具を入れていると「おえー」が来ます。毎回そうかというと、なるときとならないときがあります。このメカニズムも分からぬまま、この先の老体との付き合いです。シュノーケリングが楽しくなれば、これも納まるのかな。まずは洗礼を受けました。

ゲスト8人に、崎山さんをはじめ7人のスタッフがついてくれています。流れが速く、とても私のイメージしていたシュノーケリングとはほど遠いものになりました。それでも持参の水中カメラが活躍してくれました。私も海の中の体験をしました。沢山の魚が泳いでいます。これはどこでも同じですね。

それを早々に終えて、私は船の上であれこれ指導をしていました。撮影はゲスト仲間が協力してくれています。藤本海君は、フラッシュがたかれると泡のような気泡が画面に入ることに気がつき、海の中で船から延びた竹に捕まりながらフラッシュを止めたようです。

そして本日の圧巻は、昼3時ぐらいからの大音量です。島民エリアから流れてきているのは分かりました。暫くしてそこへ大和が来ました。夕食の誘いには間があるなと思いました。「誕生パーティーをやっているから松野も来ないか」という誘いです。「早く言え、いくいく」。そこには絶対に見られない、島民の姿がありました。

写真のように老若男女躍ったり飲んだり、大騒ぎです。結局この騒ぎから夕食が始まるからと逃げ出したのですが、私は2時間この雰囲気を堪能しましたが、彼らは夜の10時頃までやっていました。途中で偶然ですが、私の前を左右に這っている電線の結線テープがはがれそうになっているのを発見してしまいました。

指摘していると、前に座っていた島民の椅子の足先でそれを切ってしまいました。私が「これ危ないな」と言わなければよかったのですが、言ってしまったがために彼が意識しすぎたのです。大音響が停まりました。やがてニッパーをもっと専門家(なわけないけど)が修理に来ました。

「日本人は賢い」と島民から言われました。この程度の作業であれば日本人は誰でも出来ます。直流ですから一本を触っている分には、ビリビリもありません。動画にも撮りましたが、これが島民のそれも貧しい漁民(昼食などで島を訪れる観光客相手に商売をする人らはもう少し裕福)の、身近な娯楽を見ました。

夜中近くの23時頃、藤本兄弟はマクタン島へ渡ります。ここから直線距離で30分。船の速度が遅いですから、距離にしたら高松港から、女木男木島程度かも知れません。潮の関係でカオハガン島から廻ると、1時間かかります。夜でも彼らは、レーダーも何もないところを平気で航行します。生きている人らがここには大勢います。













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| 社長日記 | 07:59 AM | comments (0) | trackback (0) |
何もなくて豊かな島カオハガン島の2日目
昨日どうにかカオハガン島へ上陸し、実に美味しい食事を頂き、楽しい会話に花が咲きました。本日のメンバーは崎山克彦さん御夫婦に、男性の海さん兄弟、美人の元CAの鈴木さんに香織さんでした。そうそう大和もいました。そして私も加わって、総勢8名でした。

本日数名が島をあとにし、明日また3人が来島するそうです。私が波に飲まれていたあの頃に、島を出たというゲストもいたそうです。その人らは、もう来ないかも知れません。その位、激しい波、風、雨でした。これぞまさに、自然の織りなす奇跡かも知れません。

大和も10回ほど来ているそうですが、今日の歓迎は初めての経験だと言います。世間ではよく、「ビギナーズラッキー」と言って初回の幸運を祝福しますが、私の場合は、本当の自然がもたらす歓迎でした。しかし大和はえらい。島の学生さんの4年間の足長おじさんをやっているとか。

看護士を目指してセブ島で勉学に励むシンディー(仮名)に、この4年間学資生活資金すべてのスポンサーになったというのです。私も本人の申告は信じていませんが、シンディーからまた崎山克彦さんの口からそれを聞くと、「流石(戦艦)大和!」と思わず言っていました。大和の奥さんが偉大です。勿論奥さんも、ここの自然を満喫したそうです。

それに比べて私などは、実に恥ずかしい次第です。このカオハガン島には髙松栗林ライオンズクラブの50周年記念アクティビティーで図書を島へ贈る橋渡しをしただけです。個人的に、何かの援助が出来たわけではありません。大和の足元にも及びません。

こうして既知の中の馬鹿な仲間が、小さな島の小さなボランティアに精を出していることを聞いて、本当に嬉しく思います。私も自分の主義主張として、大きなことより身近で出来ることを出来ていることが好きです。ここを紹介した本は、「何もなくても豊かな島」というタイトルです。

正直なところ何もないのに慣れるには、苦痛も伴います。このカオハガン島から会長日記をアップすることは、なかなか大変です。暗い内から島内の電波スポットと言われている「母屋」付近へ近づくと飼い犬が総動員で吠えます。確かに飼い犬ですが番犬です。威嚇体勢で向かってきます。しかし攻撃態勢にはありません。

電気がありません。とは言いながら私の居住するコテージでは、17~23時までは電気が使えます。自家発電装置が作動しています。ここの宿泊料金は、3,600ペソ(1ペソ3円と教わりました)、室内にトイレ・シャワー・キングサイズのダブルベッド(新婚さん用に)があります。コテージは1つのようです。

大和らが宿泊するロッジは、共同トイレ・シャワーのようです。ここの料金は、2,200ペソ。食事は8時12時18:30で、料金は450ペソ(一食)。その他マッサージなどいろいろなアクティビティーがあるようです。


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| 社長日記 | 07:19 AM | comments (0) | trackback (0) |
セブマクタン島の貧富格差とカオハガン島への渡航
一昨年は、ここフィリピンの首都マニラへ来ました。ライオンズクラブ国際協会アジアオセアニアフォーラムに参加するためです。裏には武久一郎国際理事誕生をアピールするため、招致委員長、山地章靖336複合地区元ガバナー協議会議長(坂出白峰ライオンズクラブ所属)氏の声がけがありました。

山地氏の大活躍もあり、武久一郎国際理事が誕生し、彼はライオンズクラブ国際協会の舞台でめざましい活躍をされました。しかし今月21日に、地元徳島でお別れの会が行われました。国際理事にまでのぼれば、「一命を賭して邁進します」と挨拶では言いますが、死んでしまってはこれは想定外です。

当時マニラへ来たのも初めてのフィリッピンでしたが、ここセブマクタン島よりは裕福な様子でした。少なくても私には、そのように見えました。もっともマニラは首都ですから、それなりに開発が進んでいても当然ですが、むしろここセブマクタン島が遅れています。

今晩は日本食を食べに、ホテルを出てセブ島へ渡りました。私たちの居住しているここマリバゴ・ブルーウォータービーチリゾートは、マクタン島にあります。セブ島とここマクタン島を橋でつなぎ、セブマクタン島を構成しています。先のセブ空港も、セブ島では無くマクタン島にあります。

ホテルからタクシーで、30分ぐらい走ります。日本円で千円ぐらいです。ガソリン価格は、100円/ℓぐらいと表示されています。やはり運転手の労働賃金が安いのでしょうね。後進国のタクシーは、日本に比べて押し並べて安いです。日本のように、ホテル専用送迎バスの運航が、後進国では成り立たない構図です。

道路に信号機はありますが、赤で停止することはありません。道路に中央ラインはあるようですが、夜ですからほとんど見えません。地元の人は乗り合いバスのような乗用車を利用しています。乗用車と言うより、トラックを改良したようなものと、お考え下さい。

聞くと料金は、日本円で百円以下のように言われています。詳細は分かりません。危ないと思うことは度々ですが、運転手は落ち着いたものです。程なくして目的地に辿り着きます。日本人の経営のようです。「みやび」とか言いました。

豆腐以外は、日本と変わらない(許せる)味です。こちらの食で感じることですが、味噌がありません。ここ一番味噌のパワーは、有効です。湿気の関係でしょうか。勿論日本のようなダシもそこそこ、そのためか、味に深みがありません。こうして国外から日本を見ると、日本は何においても恵まれています。

さてこの後は、いよいよ待望のカオハガン島です。夕方にはカオハガン島へ、上陸しているはずです。ここフィリッピンでは、「SMART」という名のWi-Fiルーターで24時間通信が出来ています。これは私が国内で持ち歩いている機器ですが、これがカオハガン島ではこれまでように使えないと言われています。

ここまでは、セブマクタン島で書きました。この続きが書けますように、神にお祈りです。

ここからは、カオハガン島へ上陸した後に書いたものです。

ホテルからカオハガン島行きの船着場、「マリゴンドン・ポート」へ到着しました。この間道路工事の渋滞もあって、予定の30分から40分以上かかりました。ここまでは、想定範囲内です。しかし現場へ到着して、大変驚きました。還暦を過ぎてからあまり驚かなくなりましたがしかし、ここは尋常じゃありません。

大和が旧知の迎えもあり、この船に間違いは無いのですが、大和も今回から船着場が変わって、ここは初めてと言うことでした。まず乗船する前に2人とガイド役の彼女の3人でトイレへ行きます。ここへ来る道中もそうでしたが、ここら当たりの住宅や商店は、日本の戦前のいでたちです。私の記憶に無い風景と思って下さい。

電気はあるようですが、およそ衛生的ではありません。それでも住民は、十分生活をしています。先のトイレですが、小便器は2つあっても、1つは壊れていて使えません。それでも2人は用を足しました。彼女がおつりをもらっていました。有料トイレのようです。

身も心も綺麗にし、安心して乗船することになりました。その他の乗客はもう既に、みなさんは乗っています。しかしここからが問題です。波が高くなって来て、この場所からは乗れそうにもありません。乗務員(というほど格好の良い者ではありませんが勇猛です)が、身体を呈してもっと安易に乗れる乗船の場所へ船を移動します。

湯川が復路は波をかぶって大変だと言っていたのに、往路の序盤からこの調子だと約束が違う。ここは彼ら乗務員の海へ飛び込んでの活躍で、どうにか出港にこぎ着けました。ここも遠浅なのか、荷物の移動、乗客の移動をしてどうにか外洋へ出ました。

しかしここからも大変でした。瀬戸内海では停船命令のような高波の中、小さな船はカオハガン島を目指します。ここでは冷たい雨と、暖かな波をかぶって、悪酔いしそうな風雨です。私がただ1度船酔いをした、沖縄の海よりひどい状況です。幼子2人は、母親にへばりついて顔も上げません。

最短で30分、悪くて60分と聞いていましたから、命をかけた戦いにはならないとは思いましたが、やはり外洋は荒れます。ところが30分近く行ったところから、急に波が収まり、それを合図に乗客も前へ移動します。そうなのです、珊瑚礁の中に入って、後ろのスクリューが珊瑚礁に当たるとこれまた問題が発生します。

後ろを上げるために、大勢が前へ移動します。船の大きさは、鳴門あたりの釣り船の比ではありません。15人程度が両方に分かれて詰め合わせて座るほどの大きさです。また船には、転覆防止の腕のような簡単な仕掛けもついています。

そして上陸です。何と湯川の言葉通り、確かに海の中に入って、海の中を歩いて上陸です。トランクは若者が運んでくれます。桟橋などは、全く存在しません。島の反対側は深い海だと聞いています。そこにはそうした桟橋などもあるのかも知れません。命からがらのカオハガン島上陸物語でした。









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| 社長日記 | 06:14 AM | comments (0) | trackback (0) |
目覚めはリゾートのセブ島だけど
せせらぎの中に、鶏の悲鳴を聞いて目覚めました。セブでも鶏は「コケコッコー」と啼いています。当たり前と言ったらその通りですが、何でリゾート島に働き者の鶏の悲鳴が聞こえるの。そうか今夕のメインディッシュかも知れない。そんな悲壮感溢れた鳴き声でした。

相棒の大和に、「よく寝るな」と言われてしまいました。大和は睡眠が3時間だと言うから、私の半分以下です。年をとると眠れなくなる、よく寝るのは若い証拠だと言われますが、私はそんなに若くはないのによく寝ると自分でも思います。

セブ島の天候はくもり、時折小雨が降るすがすがしい気候です。NHKのTVニュースでは、東京が35度越とか言っています。ここセブの正確な気温は分かりませんが、体感的には25度程度ですか。プールに入ると思わず「寒い」と叫んでしまいました。風も爽やかで、昼から地元産のビールなどを頂き、ご機嫌さんです。

あそうそう誤解のないように書き加えておきますが、このセブ島や明日からのカオハガン島は大和(やまと)が開拓してきたものです。私は湯川を通じて、湯川は大和を通じてカオハガン島の崎山克彦さんを知りました。その縁がこうして続いています。いわば大和は恩人です。



その大和から、「ヒールを呑もう」と誘われたら断ることが出来ずに、昼の日中から申し訳ありません。決して私が言い出したことではありませんから、念のために。そして昨日も40年前のことを、深く謝りました。大和は岡山出身で、中央大学の法科生でした。目指すところは勿論、司法試験です。

それを私ら別大学生が下宿を占拠して、挙げ句の果てには度々宴会に巻き込んで、ついに大和は将来の道を変えたのでありました。共通点は、被災者の宮本嘉二です。彼が大和と同じ小池さんちに下宿をしていて、ともに勉学に励んでいました。当然湯川も、小池邸乱入組の主犯格です。

そんな縁が、今もこうして続いています。大和はわれわれを見て、「ひどい集団」だと思ったそうですが、私は大和がわれわれとつきあうようになって、やっと田舎人(香川と岡山は同類項)気質から脱することが出来たと、大変嬉しく思いました。

今回のカオハガン島も、湯川からの誘いでした。日程の都合で湯川が外れ、どうするかと思いましたが、後にも先にもこの機会だけかも知れません。喜んでこうして大和さんと来ています。私もこの時期は、スケジュール安全パイと過信をしていましたが、後にいろいろ入ってきました。



ところで現在、現地時間17時半ですが、白鵬の30回目の優勝をNHKTVで見ました。日本にいるとNHK番組を馬鹿にしますが、国を離れると、日本人の多くがNHKTVを見ています。

映像より音声に、人は敏感に反応するようです。日本の皆さん、NHKの受信料が番組を作っています。多くが少しずつ、受信料を払いませんか。そのためのお手伝いも、弊社はしています。契約窓口となって、NHK高松放送局へつないでいます。

オートロックの賃貸マンションでは、NHKの営業マンが入居者に会うことも叶いません。まさか「宅配便です」と言って開けてもらうわけにもいかず、困った挙げ句に組織に相談が来ました。弊社も数は少ないのですが、協力をしています。

これから食事に出ます。治安が悪いことも手伝って、ホテルが用意するタクシーで移動します。昨年のブラジルよりも、今年のセブ島が、私の見聞きした範囲内では危ないようです。今晩も早く帰って、明日からのカオハガン島に備えます。

海の中を歩いて上陸すると脅されています。学生の頃、もっと大和を大切に思っていれば、もっと大きな船を手配してくれたかも。これは冗談ですが、カオハガン島手前で大きな船から小さな船に乗り換えて、そして歩いて上陸?ここまでは電気もワイファイも正常に機能しています。さてさて明日からは。

カオハガン島の崎山克彦氏との出会いです





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| 社長日記 | 07:30 AM | comments (0) | trackback (0) |
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