社長ブログ

私が葬式に行かない理由2020年05月20日

京都・東本願寺の壁にこんな言葉が掲げられています。

「今、いのちがあなたを生きている」

これの意味わかります?

あなたは「いのち」であって「あなた」ではない、ということなんです。



サンドが「ちょっとなに言ってるかわかんない」って言いそうな話ですが、

私の解釈で言い換えると、私たちの本質は人間じゃないってことです。

「一時的に人間をやっている、人間ではない別のなにか」

が、本来の私たちであるということですね。



なので、自分が入っている今の肉体が死んでも、自分が消えることはありません。

あの世に戻るだけです。

いったん戻って、自分が望めばまた別の肉体に入って生まれてくる、の繰り返し。

これを輪廻転生と呼ぶわけです。



なので、私は人の死を「卒業式」とか「終業式」と表現します。

肉体が死んでも、あなた自身がそれで消えることはありません。

気の遠くなるようなループ作業の一部であり、一学年終わっただけの話。

死を嘆き悲しんだり、恐れる必要はないのです。



この事実を悟ってから、私は葬式に一切行かなくなりました。

葬式は残された遺族の、遺族による、遺族が悲しむためのイベントだから。

「先に死なれて悲しい」と思う人たちが、自分の意思でやっているものだから。

死んだ人自身がしてほしいと望んでいるものではないからです。



死んだ人が葬式を望んでいない、という事実は簡単に証明できます。

みなさんの中に誰か一人でも、

「私は前世で葬式してもらってない」

って覚えてる人、います?



死んだあとのことなど、死んだ本人にとっては全く興味がないんですね。

だから覚えていない。

死んだ人に何も恩返しできないのなら、行っても仕方がありません。

死んだ人じゃなく、生きている遺族に寄り添いたいなら悪くないと思いますが。



これが、私が葬式に行かない理由です。

遺族に寄り添うことですら「悪くない」と表現したのは、

商売目的で葬式を手伝う同業者がいるから。(葬儀屋さんじゃないよ)

人の死ですら商売にしようという考えに、私は同調したくありません。



余談ですが、私は「ワンネス」という世界を教えてもらったことがあります。

自分以外のものとの境界線をなくし、みんなとつながる、みたいな技です。

あの世と意識をつなげる、みたいな感じですね。



これを、先日亡くなったウチの元従業員に向けてやってみました。

急な事故だったので、

「おーい、なんか言い残したことないかい?」

って呼びかけてみたんですよ。



そしたら、私に対する謝罪の思いが伝わってきました。

辞めてからずっと「あのときはすいませんでした」って思ってたんでしょうね。

彼はもう死んでるんで、言葉が使えません。

なので言葉のかわりに思いというか、念のようなものを返してくれました。



彼がそんなことを思っているとは・・全くの想定外で、とっさに、

「いや、全然気にしてないよ。あのときはあのときで、お互い一生懸命だったよね」

「これが私の本心だということは(もう死んでるんだから)わかるよね」

と答えました。



彼はなにも返しませんでしたが、白い光の玉のようなものを覆っていた黒い霧が

だんだん晴れていくイメージが見えたので、きっと彼は救われたのでしょう。

故人を偲ぶ方法は人それぞれです。



ちなみにウチの家内は、私が死んでも葬式はしないと言っています。

速攻で火葬して事後連絡する、らしいです。

初耳のときは「こいつマジか?」と思いましたが、それでいいのです。

死んでから動くくらいなら、生きてるうちに動いた方がいいですね。