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22年前の長崎県雲仙普賢岳大火砕流禍
1991年平成3年、日本中がバブル景気に躍っていた6月3日、長崎県雲仙普賢岳の大火砕流で43名が犠牲になったあの日を追悼し、被災地の島原市では、遺族や市民らが犠牲者の冥福を祈ったと報じられています。あれからもう22年にもなりますか。

つい40日程前、島原ライオンズクラブのメンバーが大挙して高松へお越しになりました。既報の、高松栗林ライオンズクラブ結成50周年記念式典への臨席のためです。22年前、災害の後12月に被災地の島原第4小学校からの子供達を高松冬のまつりに招いて、落ち込んだ子供達(大人も喜んだ?)を勇気づけました。それから行ったり来たり。

3日島原市平成町(被災後の新地名)の雲仙岳災害記念館前の広場では、午後7時から、地元園児らが作った蝋燭約1,000本に火がともされたとのことです。同時に、島原市仏教会主催の23回忌追悼法要も営まれたようです。

私はこの年9月に、被災の現地入りしました。当時は高松栗林ライオンズクラブの幹事で、12月の第4回高松冬のまつりに、被災地で落ち込んでいる小学校園児を連れて来るというミッションを帯びて、島原ライオンズクラブに提案を持ち込みました。

当時の高松栗林クラブ会長浅田善太郎氏は、「費用は全て栗林持ち」と見栄を張るようにとささやき、私を高松空港から送り出しました。当時は大阪伊丹空港へ飛び、ここから長崎空港へ乗り継ぎました。相棒の平井大資さんと降り立った長崎空港では、島原LCの藤井四郎幹事が出迎えてくれていました。

そこから藤井幹事の四駆で、島原市役所へ行き、ひげの市長鐘ヶ江管一氏に面会し、立て続けに島原クラブとの長い交渉に入ったのを昨日のように思い出します。藤井幹事の車には、警察無線、島原市災害無線、自衛隊無線の3波が受信できるようになっていました。

アマチュア無線をやっていた私には、その騒音がかえって不気味に聞こえました。知らない人には賑やかで面白い内容ですが、私にはいつも逃げられるように待機せよと無線が指示しているように聞こえました。無線は警察無線でも、航空無線でも聞くことは罪になりません。「せつよしてはならない」と定められています。
(秘密の保護)
第五十九条 何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線通信(電気通信事業法第四条第一項又は第百六十四条第二項の通信であるものを除く。第百九条並びに第百九条の二第二項及び第三項において同じ。)を傍受してその存在若しくは内容を漏らし、又はこれを窃用してはならない。

要するに聞いたことを悪用するなと、法律(電波法)は定めています。無線を聞いて一目散に逃げることは、何ら犯罪になりません。よく言われるように、「××で交通検問がある」というような情報を、「注意するように」と友達にアドバイスするのは犯罪です。

話しはそれましたが、島原雲仙普賢岳の大火砕流から22年、犠牲者の43人はもちろんのこと、藤井四郎元幹事、吉田錬治元会長に会えないのが私には辛い災害禍です。皆さまのご冥福と幸せをお祈りしております。

サッカーワールドカップブラジル大会、日本チームの出場が決まりました。おめでとうございます。

| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2328 |
| 社長日記 | 10:35 AM | comments (0) | trackback (0) |
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