■カレンダー■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<前月 2024年05月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2332049
今日: 1169
昨日: 2253
 

怪童尾崎行雄氏が逝く
尾崎行雄氏は当然私より年長ではありますが、高校野球の名門大阪浪商髙出身の尾崎行雄投手が、68歳の若さで逝去されました。高校野球や大学野球、そしてプロ野球が面白い頃の、「あんな投手はもう出てこない」と言われる逸材でした。

ただ尾崎行雄氏は、昭和37年から僅か12年間のプロ生活で、記録は200勝投手の仲間入りもしていないし、選手生命が短かったことなどから、今の野球ファンには馴染みが薄い存在かも知れません。記録に残る選手と言うより、記憶に残る選手でした。

しかし往年のスターに思い出を持っている私のような隠れプロ野球ファンは、地元の怪童は中西太さんです。高松第一高校から西鉄に進み、もう80歳になりますが今でも地元では、中西太の名はとどろいています。高校も違い、記憶の年代も違いすぎて私には、20歳先輩は余りにも遠い存在で、まさに雲の上の人です。

尾崎行雄氏は浪商時代、一歳年上の柴田勲氏のいた法政二高と熾烈な戦いをしています。後に柴田勲氏は、バッターとして巨人で活躍し、V9ナインとして君臨します。ライバルは成長の母ですか。浪商の1年後輩には、明治大学から巨人に入団した高田繁氏もいました。

西鉄には張本勲がいて、南海には野村克也がいて中日に星野仙一がいて、そんな環境で尾崎行雄氏は5年で100勝近くの勝ち星を掴んだ男です。もちろん現在のようなセパ交流戦はありませんでしたが、あの頃セパ交流戦があれば、尾崎行雄氏の選手生命も延びたかも知れません。

尾崎行雄投手が、王貞治や長嶋茂雄選手と真剣勝負をする舞台を想像すると、ワクワクします。セパ交流戦は、3試合を2つの球場でするのが原則ですから、面白いですね。

その後は肩を壊し、7年間で9勝にとどまり引退しましたが、あんな投手は二度と出てこないだろうと言われるほど剛球を投げていたようです。私らの世代とっては、まさに憧れの伝説の選手です。ご冥福をお祈りします。

追伸 大学選手権で明治大学は、ベスト4に残っています。いよいよ優勝が目の前に迫ってきました。


| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2338 |
| 社長日記 | 10:03 AM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑