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稲盛和夫塾長公開フォーラムin徳島人は何のために生きるのか
慌ただしい月曜日の昼から、貸し切りバスに揺られて徳島市立文化センターへやってきました。JR高松駅から、高速高松道を利用して1時間半で市内中心部まで入っています。先週も、鳴門市から徳島市へ来ました。高松からは、県庁所在地であれば徳島市が一番近くて、有難いところです。

本日の市民フォーラムの主催は、盛和塾徳島です。石原譲代表世話人の挨拶のなか、1981年からの30年間連綿と続く盛和塾は、今日世界に70塾の8400人が集う経営者連携です。本日は徳島塾生114名を先頭に、1380名の聴講者が文化センターに集まっています。

稲盛和夫塾長は2010年破綻したJALの再建に努力し、見事昨年2012年再上場を果たし、今年3月JALの第一線から退かれました。就任当時から期間は3年と決めていました。成否に関わらず、自分が決めたゴールに向かって、稲盛和夫塾長は短期決戦策で臨みました。

本日のタイトルは、「人は何のために生きるのか」、人の生きる道を説いています。人は誰でも、幸せでまっとうな人生をおくることが出来るようになっているのです。人は、感謝の心を忘れてはなりません。例え病弱でも五体不満足でも元気に生きていることに感謝する。すると素晴らしい未来が待ち受けています。



本日は80年間の自分の人生を振り返りながら、歩んできたことをお話しします。27歳でセラミックの製造販売をする会社を作ってもらって、そこから私の経営が始まりました。会社経営の経験も全くありませんでした。どうするか、毎日毎日悩みながら、日々必死の努力を続けていました。

同時に生まれて死ぬまでの人生は、どうなっているのかも考えるようになりました。「運命」が決まっていて、どんなにもがいてももう結果は決まっているのかと、いろいろ考えていました。

丁度その頃良きことを考え、良きことをすればよき結果が現れてくるという「因果の法則」があることも気づきました。そして運命という縦糸と、因果の法則という横糸で、人生は出来ているのです。塾長はそうおっしゃいます。私もそう信じています。

稲盛和夫塾長の人生を大きく変えたのは、一冊の本でした。東洋哲学を広く世に説いた安岡正篤(まさひろ)さんの「運命と立命」という本でした。中国の「陰騭録(いんしつろく)」という書物を安岡さんが解説しておられる本なのです。

「陰騭録」とは袁了凡(えんりょうぼん)という人の手になる物語ですが、ここには運命と因果応報で織りなされているのが人生なのだということが、具体的事例を挙げてよく説明されています。

「陰騭録(いんしつろく)」は今から400年ぐらい前、中国の明の時代に書かれたものですから、日本では豊臣秀吉や徳川家康などが活躍をしていた頃で、そんなに遠い昔の話しではありません。

袁了凡さんがまだ袁学海(えんがっかい)という名前であった幼い頃のこと。ある日、学海少年のところに「私は南の国で易を極めたものだ」という白髪の老人が訪ねてきました。易とは、日本でいう占いのことで、中国では古くからあるたいへん深遠な学問であります。

白髪の老人は「この国にいる袁学海という少年に、私自身が極めた易の神髄を伝えるように天命が下った。そこで遠い南の国からわざわざあなたを訪ねてこの国まで来たのです」と言い、その日、学海少年の家に泊まることになります。

老人は、学海少年の運命について、53歳で逝去するまでの物語を騙ります。学海少年は、自分には既に運命が備わっている。何を今更バタバタすることがあろうかと達観し、とっちゃん坊やになって、公務員人生を送ります。

ところがかの地に赴任し、そこの高名な禅寺を訪れます。禅でも組もうという老師の言葉に、袁了凡は素晴らしい迷いのない姿で禅を組みます。驚いた老師が「あなたは素晴らしいどこで修行をされたのか」と尋ねる。そこで袁了凡は、幼い頃聞いた白髪の老人の話しをする。それを聞いた老師曰く「運命は変えられます」。

途中で因果の法則を、つまり良いことを思い、良いことをすれば運命が好転し今以上の良い方向へ替わっていくのです。それが、われわれ人間の人生というものです。袁了凡長官は素直な人で、奥さんにこのことを話し共にどんな小さなことでも良きことを思い良きことをしたことを記録していきましょうと二人で協力した日々を送ります。

奥さんも、素直で聡明な人であったのでしょう。白髪の老師が決して生まれと来ないと言われた息子よ、お前に恵まれ、53歳で死ぬと言われた私の運命が変わっていった。夫婦で良きことを思い、良きことをし始めて、運命が変わりはじめました。



当時京セラは中小企業です。私は若くして経営に携わり、とても悩んでいた頃にこの本に出会いました。「陰騭録(いんしつろく)」のように、良きことを思い良きことをするように努めて参りました。真我=良心は利他のこころです。本能は利己的な自我です。

己さえ良くなれば良いという自我と、人のために役立つような利他の心が良き思いです。両方の思いを内在するわれわれ人間は、ややもすると自分さえ良ければと思ってしまうのです。言うことは分かっても、良きことを実践していても幸せな人生をおくっている人をあまり見かけないのも現実です。

一方ひどいことをしてもそんなに悪くなっていない人を多く見たら、なかなか因果応報の定めを信じることが出来ませんでした。この考え方は、日本の教育にも原因があります。明治維新後の新政府は、近代国家への道程を一瀉千里に突き進みます。科学的な証明の出来ないものを、明治政府は合理性を追求し、これまでの運命や因果の法則を迷信だとして排除したのです。

もう一つ因果の法則を信じられないことがあります。すぐによい結果が現れません。結果が出てくるまでに時間がかかりすぎます。運命を辿って生きていても、悪いことを思いながら歩んでも悪い結果がなかなか単純明快に現れません。

しかし運命の縦糸と、因果の法則の横糸が織りなす原因と結果で、宇宙の法則を聞くことで、私の迷いはなくなりました。137億年前ビックバンセオリーです。素粒子の小さな塊が次々と結合し、水素原子が誕生しました。粒子を壊すと素粒子に戻ります。

水素からヘリュームが生まれました。次々重い原子が誕生しました。原子から分子、分子から高分子、それに次から次へと進化していき、人類まで作り上げたのです。もともと宇宙は無機物の世界でしたが、有機物の誕生を助けたのです。これが今日の宇宙です。

宇宙にはすべてのものを慈しみ、やさしく育てていく愛が充満しています。あるいは宇宙にはすべてのものを慈しみ良い方向へと導く宇宙の力が存在しているといえます。宇宙はわれわれを良き方向へ導く力があるのです。

良い方向へ物事を進めていこうという想念が流れている。森羅万象良き方向へ導かれている。宇宙の意思と波長が合うから、必ず良い方向へと進むのです。とは言いながら現実は、悲運も幸運も多くのことが私を襲ってきました。

「試練」は、不運だけが試練ではありません。幸運に恵まれラッキーになることもあるのです。ラッキーも神が与えた試練なのです。災難と思われる試練に遭遇しても「ありがとうございます」と言って感謝する。何かの気づきを自分に与えてくれている。災難を乗り越え、厳しい試練に遭遇しながらも感謝するのです。

災難や幸運を神が与えた試練として受け止めて、前向きにひたすら明るく努力を続けていく。ここから私の人生を語ります。参考にして下さい。私は12歳で鹿児島第一中の試験に落ちました。父親は戦火の下で、印刷工場をなくして生活に困窮していました。





地元の鹿児島大学を昭和30年に卒業し、京都の会社へ就職しました。入社してみたら赤字ばかりの会社で給料の遅配が当たり前のような会社でした。文句ばかりを言いながら、同期の5名と転職ばかりを考えていました。しかし就職難の時代です。結果的に、文句を言わず実験を繰り返すことにしました。

すると徐々に、成果が現れ始めました。世の中の憂さを忘れるために、研究室に鍋釜を持ち込み、研究の中に逃げ込もうとしました。ご飯と味噌汁、天かすを入れての味噌汁でした。ボロ会社に入った自分の運命を恨んだものでした。縁故がなかった自分の不平不満を、世間の憂さも忘れることが出来ました。

自分の人生を腐らせていくよりは、研究に没頭した方がいい。上司に褒められ、学会で発表すると褒められ、私の人生も好転し始めたのです。不幸な少年青年時代を振り払うように、研究に没頭し良いことを思い始めてよい結果が出はじめました。

会社を助けたいと思い実験を重ねると、ますます良い方向へ人生が好転し始めたのです。今日京セラの連結売上げは、1兆3000億円になりました。30年前に作った第二電電の4兆円と加えれば、年間6000億円の利益を上げるまでになりました。

自分の体験から、因果の法則を固く信じて、明るく前向きに必死に生きていけば、思わぬ結果も叶うのかも知れない。今の若者は、不平不満ばかり。感謝の言葉が出ないようでは、良い結果は得られません。JALの再建も同じです。

2009年の暮れ、日本政府と再生機構からJALの再生を託されました。晩節を汚すことにもなりかねない、聞く人みんなが辞めろと言いました。世のため人のためにと思って、引き受けることにしましたが、それにしても高齢であり週に3日程度の勤務になるだろうからと無給でお願いしました。

無理して引き受けましたが、航空業界のことは全く分かりませんでした。しかし、JAL再生に際して私の信念が揺るがなかったのは、まず第1に1日本経済の再生のため何としてもJALの立て直しが不可欠と判断したのです。2次破綻でもすれば、とんでもないことになってします。

第2に、日本航空には大量解雇をしましたがまだ3.2万人の社員がいる、社員の生活を守る。日本航空の社員の雇用を守るためです。3番目には国民のため。ANA一社では競争原理が働かないという弊害がおき、国民生活に支障が出ると考え、利用者の便宜を図るためという大義を入れました。

これら三つの大義の下に、老人が心血を注いで再建に励む姿を見て、労組から社員へと多く従業員がその姿を見て、協力してくれるようになったのです。私は最初の方針発表で、企業とは株主の為でなく、ましてや経営者自身の私利私欲のためではなく、そこに集う全社員の幸福のためにこそ存在すると宣言しました。

やがて官僚主義、マニュアル主義から目に見えて現場が改善していきました。同時に業績も向上してきました。航空業界は、装置産業と思われていますが、私はお客様に喜んで頂く究極のサービス業だと言いました。お客様に接する職場の、一人一人に語りかけていきました。考え方を浸透させていきました。すると短期間に、劇的に収益が向上していきました。

そして、全世界の航空会社の半分を稼ぐまでになりました。昨年9月に再上場しました。3500億円の政府借金(企業再生機構からの出資金)と加えて、約3000億円をブラスして国庫にお返ししました。考えてみましたら官僚主義の組織機構を打破し、良きことをなそうとする自分の考え方が、よき結果を生んだのだと思います。

そのような利他の心で励む私に、天が助けてくれたのではないかと思います。そうでなければ、JALの再生など出来なかったと思います。サンスクリットの格言に、「偉大な人物の行動の成功は、行動の手段よりも、その心の純粋さによる」とあります。神様宇宙の力に感謝し、手をあわす毎日です。

神というか自然というか宇宙の力というか、利他の心で生きていることが、栄光への第一歩だと思います。自分の心を磨き、純粋な心で生きる。人生の目的とは心を磨くこと。人間性を豊にして、真善美を探求する心。

真とは正しいこと、善とはよきこと、美は美しいこと。魂を磨くことです。生まれ持ってきた魂を、磨き美しい魂にして死んで行く。魂を磨く道場が人生です。

自然というものは、皆が幸せに生きられるように作られています。頑張りましょう。ここで塾長講話は終わりました。十分意を伝えられていませんが、私の心はまた元気になりました。

学生さんの書道パフォーマンス「利他の心」

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| 社長日記 | 08:23 AM | comments (0) | trackback (0) |
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