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関東大震災から90年大韓航空機撃墜から30年
関東大震災(かんとうだいしんさい)は、1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(日本時間、以下同様)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。

神奈川県を中心に千葉県・茨城県から静岡県東部までの内陸と沿岸に広い範囲に甚大な被害をもたらし、日本災害史上最大級の被害を与えた。

190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる。建物被害においては全壊が10万9千余棟、全焼が21万2000余棟である。東京の火災被害が中心に報じられているが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生した。(フリー百科事典ウイキペディアより)

このところの関東大震災特別番組を見ていて改めて「そうか」と合点したことですが、10万余人の死者のうち、火災禍で亡くなった人が9割にもなることを知りました。「なんで」と思いますが、東京湾海辺の公園で、3分の1の3万余人が死んだことを知りました。

広範囲の火災の場合、熱竜巻的な渦が出来て、それに巻き込まれたと報道されています。そうか人の歩みより遅い火の足ですが、竜巻状に猛威をふるわれたら、気がついたらなぎ倒されて焼き尽くされたとしても、さもありなんと納得します。

関東大震災は人災で、防ぎようがなかったと思いますが、9月1日防災の日に、内閣総理大臣安倍晋三氏を中心に、各方面の防災意識の喚起が出来ていて、地震などの震災の心配のある国だからこそ、防災意識も高まることだから、「自分の身は自分で守る」意識付けが国民の総意となるのは、強い国を創るベースになります。

大韓航空機撃墜事件(だいかんこうくうきげきついじけん)は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯(航路逸脱の原因については後述) したために、ソ連防空軍[1]の戦闘機により撃墜された事件。乗員乗客合わせて269人全員が死亡した。(フリー百科事典ウイキペディアより)

領海侵犯で航空機を撃墜する(必ず大勢の死者が出る)という旧ロシアの方針は、われわれ日本人にはなかなか理解しがたいものです。その現象として、尖閣諸島の国有化後の中国船の領海侵犯に対しての日本国の態度に、それを見ることが出来ます。大韓航空機事件は正直何も攻撃しなくても、強制着陸で問題は解決するのではないかと未だに私は納得出来ない。

また今、新しい問題と化しているシリアの毒物使用制裁策。アメリカオバマ大統領は、シリア攻撃の準備を軍に命令したのですが、最終的な「GO」を議会に委ねました。議会の決断がNOとなれば、大統領のこれからのリーダーシップに心配を残します。

これは各国、とりわけイギリスのNOに深く失望した結果ともとれますが、大統領の制裁決定を議会が否定した場合、世界の警察としてのアメリカのポジションは実に微妙なものになります。勿論初めてのことです。

歴史に学び、自らの行動の根拠を明確にする。晩節を汚すことなきような言動が、これからの自分の留意点かなと、いろいろ思う9月1日でした。


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| 社長日記 | 09:48 AM | comments (0) | trackback (0) |
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