中途半端な時間に目が覚めて、日本時間5時半前の決定の瞬間を目撃しました。もちろんテレビ中継ですが、日本中が沸き立っています。外は雨が降っています。2020年というとこれから7年先ですが、長いようですが恐らくあっという間にやってくるのでしょうね。
1964年の東京五輪から、56年ぶりのオリンピック・パラリンピック開催です。日本が元気になる、この招致決定だと思います。東京電力福島原子力発電所の汚染水問題から、また56年経った東京インフラの老朽化など懸念材料は山積していますが、本当に有難いタイミングでの五輪開催になることでしょう。
64年の東京五輪の年、私は小学6年生でした。2年前に父茂が病死していて落ち込んでいましたが、何の関連性もありませんでしたが、何となく勇気をもらったのを覚えています。
7年後の開催に向けて、日本が元気になることを期待しています。これで安倍晋三首相も、消費税導入の決断がついたと思います。自らが福島原発の汚染水対策をやりきると世界へ宣言したわけですから、世界公約の消費税アップも、やりやすくなったと思います。
しかし下手すると、開催前に国家破綻となりかねない国債発行量です。東京五輪のためなら、何でもまかり通ると考えるととんでもない結果が残るし、東京五輪をてこに、債務超過のプライマリーバランスを正常値にすることも、大切なことだと思います。
さて今日のネタですが、永尾裕子さんと福井ムツ子さんの送別会の模様をお知らせします。福井ムツ子さんは定年退職、永尾裕子さんは好き勝手退職です。とは言いながら永尾裕子さんは、パートながら19年間勤務されました。今の弊社があるのは、この二人の存在が大きいと思います。お二人に感謝申し上げるところであります。
今日は、常務の企画で大西香子さんが福井ムツ子さんへ、私が永尾裕子さんに感謝の言葉を贈ることになりました。その一端を紹介して、結びとします。
永尾裕子さんへ贈る言葉
永尾裕子さんが入社されたのは、1994年平成6年でした。今から19年前になります。今のわが社のホープ、新宮加奈さんが生まれた前後になります。普通のサラリーマンの生涯勤務が40年間ですから、およそその半分を弊社で勤務されたことになります。
私の尊敬する和田浅吉高知ハウス会長は、私の顔を見るなり「永尾さんはお元気」と聞きます。互いの前職で机を並べていたと聞いています。その和田さんも、永尾裕子さんには一目置いていたようです。
私もその接遇には、全く同感であります。あの電話応対での物腰の低さ、電話が終わったとたんにあっかんべーをしているのをお客様は知りません。大抵のクレームは、永尾さんに廻せばほとんど解決していました。
また彼女の凄さは、「これは揉めるなと・・・」と感じる洞察力にあります。そんな時には、必ず私の耳に一報を入れます。この辺の出し入れが実に鮮やかでした。
そんな永尾裕子さんが、今回とは別に退社を言い出したことがありました。もう10年も前になりますか、御尊父様の手術看護のために、どうしても退社したいとの強い意向でした。裕子さんは「パパっこ」さんで、また父親も家族のためなら出世もいらないと、午後6時になると自宅で食事を共にしていたという子煩悩な父親であったと伺っています。
この時は、復帰を条件に一時会社をあとにしました。そのあとは、皆さんもご存じのように、韓流スターに寝ぼけて、優しい寛大なる旦那様の庇護の元に、実にすくすくと成長されたわけであります。
今日のこの贈る言葉を考えるにつらつら思ったことは、私は祖母から母親、妹とかみさんは身内ですから当然のこととしても、他人様にあっても「女神様」に助けられたなあと思い返しています。
最初にお世話になった藤田さん、その次に長く勤務された大山京子さん、今日の主役の一人であります福井ムツ子さん、そして永尾裕子さんと。
ここで一言だけ、苦言を呈して終わりとします。これまで以上に旦那様を大切に、そして一人娘のかなちゃんから子離れをすること。韓国でキムチを食べ過ぎないこと。お体大切に、体重も血圧もほどほどに保ち、らしく明るく元気で幸せにお暮らし下さい。長きに渡り、本当にありがとうございました。合掌
平成25年9月7日
社長 松野誠寛