■カレンダー■
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
<<前月 2024年05月 次月>>
■お問い合わせは■
松野不動産電話番号:087-888-0011
■過去ログ■
社長日記過去ログ
■メニュー■
松野不動産ホームページ
■管理者■
ADMIN ID:
ADMIN PW:
■新着記事■
■カテゴリー■
■月別アーカイブ■
■リンク■
■その他■
■来訪数■
合計: 2337237
今日: 96
昨日: 1542
 

歌舞音曲劇げんないを観劇
先の高松栗林LCの例会に、(公社)香川県観光協会松岡勝哉専務理事がお越しになり、この「げんない」を是非観るようにと、案内チラシと申込書を置いて帰ったのでした。わざわざお見えになって、チケットを買わないのも申し訳ないと、2枚申し込みました。

歌舞音曲劇はミュージカルと読むようですが、久しぶりにプロの演劇を観たように思いました。途中10分間の休憩を挟み、2時間余のステージでしたが、流石プロ、飽きさせない演出と演技がされています。演じ手は、愛媛県東温市に常設小屋を構える、「坊ちゃん劇場」です。

話の内容は幕府老中田沼意次の時代ですから、江戸時代中期(1750年前後)の江戸での「平賀源内」を中心とする芝居小屋での出来事です。現実に縛られ夢など許されなかった時代に源内は、「夢は、追うことに意味がある」と言い放ち、人が空を飛ぶとか100年先200年先のことを言って煙に巻く。一見ホラのようにも聞こえるが、もう既にこの頃にはエレキテルも完成している。

もともと讃岐国志度村の足軽の長男として生まれ、本来なら家業の「お蔵番」として生涯を終える身なれど、藩主の計らいで長﨑や江戸で勉強が許され、幕府老中とまで旧知の仲となる奇想天外の人です。

およそ香川県人気質に似合わない剛毅な人ですが、改めて愛媛県の演劇集団「坊ちゃん劇場」で取り上げられると、坂本龍馬的な歴史に名を残した人のような気がします。プチ自慢です。

『解体新書』を翻訳した杉田玄白をはじめ、当時の蘭学者の間に源内の盛名は広く知られていた。玄白の回想録である『蘭学事始』は、源内との対話に一章を割いている。源内は獄中死をしたとも伝えられている(別に諸説紛々)が,源内の墓碑を記したのも玄白と言われています。

「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや〔貴方は常識とは違う人で、常識とは違うものを好み、常識とは違うことをする、しかし、死ぬときぐらいは畳の上で普通に死んで欲しかった。〕)とあり、源内の才能に玄白が驚嘆しその死を惜しんだことが伺われる。

「夏バテ防止のために土用の丑の日にウナギを食べる」風習は、夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて、平賀源内が考案した「本日土用丑の日」という広告キャッチコピーが元との説がある。また、明和6年(1769年)にはCMソングとされる、歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけ、安永4年(1775年)には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬を受けており、これらをもって日本におけるコピーライターのはしりとも評される。
(ウィキペディアフリー百科事典より引用)

平賀源内の功績云々の話ではなくて、彼の考え方生き方が芝居のテーマのように感じます。幕府老中田沼意次の賄賂政治の今であるから、本来言えないことも今なら言える。田沼の「沼」は泥沼で、底が見えないから現実も変えられるという風刺も込められていると思いました。

もともと演劇というものは、古今東西、為政者を風刺したものだと思います。忠臣蔵にしても、言えないことを劇中の登場人物に語らせる。平賀源内的人間は、今のこの時代にこそ必要な人物ではないでしょうか。劇団員の体力精力声力に感動しました。



| http://nobuchin.0011.co.jp/index.php?e=2436 |
| 社長日記 | 11:09 AM | comments (0) | trackback (0) |
PAGE TOP ↑