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一般社団法人香川宅建高南支部研修旅行の2日目
良い宿でした。部屋の広さとか構造とかハード面も申し分なし。加えて仲居さんなどの接客もそこそこでした。久保喜治さんの帯がなくて、フロントへ連絡してもなかなか来なかった一点を除けば、私は大満足です。夜の2次会席に、本当の真価が見て取れるのですが、残念ながら体力不足で行くに至らず、自室でビールを分けて呑んで、静かに眠りにつきました。

朝は琵琶湖の向こうの山から、朝日が上がります。それを内湯につかりながら、1人独占で見ます。大浴場に比べて小さな湯船ですから、湯の温度はぬるめですが、それはそれでまた良いものです。私が入ってもお湯が沸きまけます。底からは、暖かい湯が出ています。源泉掛け流しの雰囲気を味わっています。

緑水亭を出て、比叡山へ登ります。伝教大師最澄が開山してから1200年が経ちました。比叡山は多くの名僧(天台宗以外も)を輩出したことにより、日本仏教の母山と呼ばれています。1200年前伝教大師最澄は、日本の国の安泰と国民の幸せを祈って日本人に合った仏教を比叡山に開きました。

その教えの根本をなすものは、「個々が思いやりの心を持って一隅を照らす人になる」すなわち、一人一人が相手の立場に立って考え、自分の出来ることを精一杯行うことが、周りをよくすることにつながると言うことです。

後世、この様な教えに基づいて、さまざまな高僧が集い、特に鎌倉時代には、法然、栄西、親鸞、道元、日蓮などと言った祖師方が比叡山で修行したと聞きました。つまり比叡山は最澄が開山した山だけど、宗派を問わず大勢の高僧が修行したところです。千日荒行などの動画を見ると、食べ物はほんの少しで、山の中を走り回る佐助みたいな修行僧の様子を見たことがあります。



比叡山は大きく三塔(東塔(とうとう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ))の地区に分けられ、これらを総称して比叡山延暦寺と言うそうです。それぞれ、地理的区分であると同時に、異なった趣と伝統を人々に伝えています。

まず横川中堂へ行きます。おみくじ発祥の地と言われていますが、そこにおみくじはありません。続けて東塔エリアの「延暦寺根本中堂」へ参拝します。本尊は大師が自ら刻んだと言われる秘仏薬師如来がまつられ、宝前には開創以来の「不滅の法灯」が1200年の時を越えて輝き続けています。ここへは毎日菜種油が追加され、その担当は決まっていないのだそうです。



ここから「油断」が誕生したとも言われています。誰か1人の責任にして、万一その人が菜種油を注ぎ忘れたら、法灯は消えてしまいます。みんなが確認することで1200年間のあかりが今に伝わっているわけです。「おのおの方、油断めされるな」忠臣蔵の台詞にもあるように、これが油断の起源です。

次ぎに大講堂を拝見します。それぞれの一宗を開かれたお祖師像が安置されています。肖像画も掲げられています。少し複雑な気もしますが、そこは比叡山がすべてを受け入れる懐の大きさを持っているからでしょう。

最後に西塔へ行きました。釈迦堂が有名ですが、その前の弁慶が「常行堂」と「法華堂」の2つの横に並んだ建物を天秤棒にさして担ったと言われる「にない堂」からは、お経が流れてきて修行僧の息吹を感じました。前日に比べて気温も下がり、高所にあることからも一層肌寒ささえ感じます。霊験あらたかといった気分になります。

今年は比較的近距離でしたが、大阪環状線高速網の大渋滞も考慮して、早め早めの移動でした。バスの中はいろいろな話題で、大変賑わいました。「政治」「不動産」の話しから「経済」、「福島原発禍」、「久保喜治さん生前葬」まで多岐に亘り、臼井さんの差し入れ「泡盛」の氷割りに酔って、楽しい時間を過ごしました。皆様ありがとうございました。



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| 社長日記 | 10:24 AM | comments (0) | trackback (0) |
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