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念ずれば花開く坂村真民記念館へ
愛媛県砥部町にある、坂村真民記念館へ行きました。私の記憶の中にあるのは、今から30年近く前の話しになりますが、徳武産業十河孝男さんの経営指針書の中に、「念ずれば花開く」という言葉がありました。十河孝男さんは文字通り「念ずれば花開く」を唱え続けて、今では世界中の老人障害者を喜ばす仕事をしています。

その十河孝男の名前が、昨年開館したこの坂村真民記念館の建設協力者として、入口左にありました。香川県在住者の協力者名がありましたが、記憶にあるのは十河孝男さんだけでした。ここは砥部町営の建物ですが、 これだけ協力者がいるということは、それは偉大なことです。

館内には全国各地の「真民詩碑」の設置場所がコンピューター化されていましたが、その総数は730箇所ありました。香川県下でも、喝破道場など22箇所にあるようですが、暮らした愛媛県下に145、案外個人宅にあるのにビックリしました。さらに設置箇所は日本にとどまらず、アジア・アフリカ・欧米など36箇所にあるようです。

そしてそのすべてに、坂村真民先生が直筆で書き、それを石に刻んであります。真民さんは、依頼を請けて、その人の希望する石のサイズに合わせて、字を書いたそうです。当然関係の深い方に贈呈したもので、一つ一つが自分だけのものですから、貰った人は嬉しかったでしょう。

坂村真民先生は1909年(明治42年)、熊本県玉名郡府本村(現荒尾市)に生まれます。8歳で教員をしていた父親が急逝して、18歳で伊勢の神宮皇学館(現皇学館大学)に学びます。25歳(昭和9年)で朝鮮にわたり、終戦後熊本へ帰ったものの、昭和21年家族を連れて四国へ渡り愛媛県三瓶町に41歳まで教員として生活します。

県立吉田高校へ転勤したのは昭和25年、6年間ここで過ごすのですが、目を酷使し、網膜炎でほとんど盲目となっていた。この苦しさの中から、かねてから母親が唱えていた「念ずれば花ひらく」が天啓のようにひらめいた。この言葉を八字十音の真言として唱えていこう。そう決めたのだそうです。

坂村真民先生は、定年退職後砥部に住むようになり、97歳(平成18年)の天寿までここで暮らします。教員生活は続けていたようです。上司から褒められる先生ではなかったようですが、生徒からは慕われた先生。そして決して止めなかった教員生活は、「詩国」(毎月発行1200部)などの印刷郵送代を稼ぐためだったのか。

今の流行で言えば、「相田みつお」さんのような詩と字ですが、相互に相通じる真理があるように思います。私は「詩」などは全く縁のない世界ですが、心打たれるものは確かにここにありました。

記念館入口玄関前

玄関前の碑

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| 社長日記 | 11:24 AM | comments (0) | trackback (0) |
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