2013,11,09, Saturday
日本文化の歴史的変遷を見ると、もともとあった基本的な文化の上に新しい文化が入り、両者が溶け合い、あたかも発酵食品のように、まったく新しい文化をつくりだしている。これが一度や二度ではなく、数千年の歴史の間に何度も起きている。折口信夫「まれびと」。
広辞苑をみると、「まれびと」は「客・賓」と記されています。「まれびと」という概念は、われわれ製造業にも貴重な示唆を与えてくれる。すなわち、新しく入ってきたもの(=「まれびと」)をわれわれの「場所」を訪ねてくれた貴重な人や物として、まずは受け入れる。 次ぎに、それを「場所」のなかで統合する。最後に、その統合した結果をもとに、新しい「場所」へ「跳ぶ」のだ。 日本人は、現象の奥に意味や本質を感じとる。 「まれびと」を受け入れて、混乱を伴いながらも、日本は進歩を遂げてきた。そこに日本のダイナミズムがある。「まれびと」としての大東亜戦争を熟成させるのに100年はかかるだろう。 日本では「公」の性格を持った共同体が一族郎党の企業集団をつくった。これが欧米やアジアの他の国々とは違った企業社会の基盤になっている。100年以上続いている日本の会社が10万社以上。200年続く企業も3000社ある。韓国、中国はゼロである。ヨーロッパから見ても桁外れの多さである。「公」の性格を強く持った一族郎党型の企業集団が存続した結果である。 日本の共同体は「私」を抑えることにより「公」の性格を強くしてきた。日本の企業のハイテク性と長寿命はこれによる。 大東亜戦争は日本人に死を悟らせた結果、生を目覚めさせた。この集中度がなくて文明は進歩しない。日本のハイテク製造業の源はここにある。 今日は、「再起日本」からの抜粋です。 |