今売れている作家の一人、百田尚樹(ひゃくたなおき)氏の講演会に、1800名くらいアルファあなぶきホール入っています。香川銀行の、香川ビジネスクラブ主催です。昨年は、確か星野仙一監督で、ここも大勢の聴衆で埋まっていました。
アルファあなぶきホールは2000名の定員ですから、1800名で満員に見えます。この時期は、コートやオーバーの置き場所に困ります。3階席の張り出しまで、人で埋まっています。百田尚樹氏も、(田舎に)こんな受け皿があるのに、驚いていました。
彼の「海賊と呼ばれた男」の出版記念会は、昨年の3月名古屋の竹中右門さんの招集でリッツカルトン名古屋であり、私も参加しました。その時に、出光興産創業者出光佐三のことを熱く語る百田尚樹氏を、はじめて身近に感じました。書き上げるまでの7ヶ月に、救急車で3回運ばれたことも聞きました。
今はすっかり時の人になってしまい、超売れっ子作家ですが、放送作家の仕事も週一で続けているようで、こちらも時間に追われる仕事ですから大変だと思います。海賊と呼ばれた男のPRのために、全国の書店を回り、店員さんが一番売りたい本第一位になったりもしています。
20年間の放送作家を経験していますから、売るための戦略には長けています。それは番組も、本も同じだと思います。女性放送作家から「日章丸事件」を聞いて、終戦日の翌々日、つまり8月17日に出光東京本社(焼け残ったようです)の社員に、「愚痴は言うな、直ちに建設にかかれ」と檄を飛ばしたという出光佐三(いでみつさぞう)は当時60歳。
こんな日本人がいたのか、こんな人たちがマイナスからの日本を建設したのだという事実を後世に伝えたかったと、百田尚樹氏は熱く語ります。処女作「永遠のゼロ」も同じです。行きなくない戦争に駆り出され、日本国のために尊い命を奪われた若者たち。その多くが大正時代の人々でした。
そしてまた、戦後の復興の中心となったのも大正人でした。昭和20年当時、大正元年生まれの人で35歳、大正15年の最後の大正生まれだと20歳そこそこです。昭和生まれの多くも特攻隊へは行きましたが、そう言われれば、戦争の中心人物は大正人ですね。私は「大正デモクラシー」と、暢気な時代だと大正時代を見ていましたが、これは新発見でした。
加えて驚いたことに、会場に高知黒潮ライオンズクラブメンバーが3名お越しでした。岡山からの旧友もいて、懐かしい話しに花が咲きました。