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とんび
私は「とんび」を、堀江貴文氏の著書「ゼロ」で知りました。獄中にあった堀江貴文氏は、パソコンが使えないことから「本」を読んだと自身が上梓した獄中記「ゼロ」の中で書いています。「とんび」は、鳶(とんび)が鷹(たか)を生むの例えから、「とんび」の著者重松清が名付けたものです。

「ゼロ」の中で、堀江貴文氏は「とにかく泣いた」と書いています。私も早速取り寄せて、読んでみました。私の読書は、電車バス飛行機などの移動中が多くて、「とんび」を読みながら泣いている初老のおじさんに、周りはどう思ったのでしょうか。私も号泣する方ですから、周りは迷惑したことでしょう。

最後は欠航となった今月14日、JAL1402便の24Hで終えました。30分ぐらいは機内に座っていました。その前の時間も、いつもより早めの空港入りしたもので、ここでも読む時間がとれました。「とんび」の最終章を読むのにワクワクしていて、下ろされたのも腹が立ちませんでした。

様子の変な私のことが気になったのか、スッチーが飴をくれました。14日の日記に掲載した、あのピンク色の飴です。本当はコーヒーが飲みたかったのですが、厚かましい私でも、その要求は出来ませんでした。飛行機が飛ばなかったら客ではありませんから。

『とんび』は、重松清による日本の小説です。2003年10月から2004年7月にかけて『中日新聞』と『東京新聞』『北陸中日新聞』(いずれも中日新聞社発行)および『北海道新聞』『西日本新聞』『神戸新聞』などにて連載されていたものを文庫本にしたものです。

広島県を舞台に、妻を失った父親(市川安男)が息子(アキラ)の反抗期や学校でのトラブル、受験、自立、意外な女性との結婚など様々な困難に直面し、不器用に戸惑い、悩みながらも息子の幸せを第一に考え、周囲の支えを受けながら男手一つで息子を育てた父の半生と親子の絆を描いた作品になっています。

何人かに「とんび」の話をしたところ、テレビで観たとか、映画で観たとか言われましたが、映画化はされていないようです。同名でテレビドラマ化はされ、NHK総合テレビで2012年1月7日(前編)と1月14日(後編)に放送され、TBSでも連続ドラマとして2013年1月13日から3月17日まで放送されたとウィキペディアフリー百科事典には書かれています。

TBSの連続ドラマは、あの流行語大賞になった「半沢直樹(堺雅人主演)」の前番組だったようです。私はこのトンビは観ていませんが、いずれのドラマ化作品も、テレビドラマ関連の賞を受賞してと言うものの、原作とドラマ化は確かに違うようです。話題になった半沢直樹は、私のようなドラマ音痴でも観ました。

私はこの作品を読んで、「父親」も「子供」であったという気づきがとても印象的でした。高度経済成長時代の1962年(昭和37年)、運送会社に勤務する28歳のヤスは愛妻・美佐子の間に息子・アキラが誕生し、生涯最高の喜びに浸っていたところから物語ははじまります。舞台は瀬戸内海に面した広島です。

単純馬鹿を絵に描いたようなヤスに、出来すぎた愛妻美佐子、加えて小林旭のアキラと名付けた男子が誕生します。長じて早稲田大学(誰か明大出身の作家はおらんのか)へ進学し、東京の出版社に就職し、年上のバツイチ子持ちと結婚すると言い出します。

そんな頃に、幼少期に捨てられ顔も知らない自身の父親が、現在の息子に託して死に目に会いたがっていることを知ります。ヤスさんは、アキラが息子で自分が父親の関係しか考えたことがなかったのですが、ここで自分も息子だと言うことに気がつきました。驚きうろたえますが、自分の運送会社深夜便に便乗し上京します。

そして病院で寝ている実父の手を握り、この手が自分の頑健な身体と手のひらをくれたのだと考え、涙します。そしてそのまま、実子(これも再婚した妻の連れ子でヤスとの血縁関係はない)が、「せめて一目だけでも」と止めるのですが、そのまま病院をあとにします。

その後アキラが女を連れて、広島へ帰ってきます。勿論ヤスは、アキラの選んだ嫁に反対はしません。それどころか、今の二人の間の子供(女の連れ子)はヤスが父親として面倒を見る。アキラ夫婦は、生まれてくる子供を大事にしてやれと言います。

このように馬鹿なヤスは、血のつながりと同じように、「家族」となった縁を大事にするのです。ヤスの親友、なまぐさ坊主と呼ばれる照雲夫婦も、自分の子供がいなかったこともあってアキラをわが子のように愛でます。なまぐさの御尊父海雲和尚の言葉も胸に滲みます。薬師院本堂で呑んでいて急に、アキラを連れて4人で夜の海に行きます。瀬戸内海の海ですから、石巻などに比べたら暖かいのですが、それでも車の外は寒い。

「アキラ、これがお父ちゃんのぬくもりじゃ。お父ちゃんが抱いてくれたら、体の前のほうは温うなる。ほいでも、背中は寒い。そうじゃろ?」「お母ちゃんがおったら、背中のほうから抱いてくれる。そうしたら背中も寒うない。お父ちゃんもお母ちゃんもおる子は、そげんして体も心も温めてもろうとる。

ほいでもアキラ、おまえにはお母ちゃんはおらん。背中はずうっと寒いままじゃ。お父ちゃんがどげん一所懸命抱いてくれても、背中までは抱ききれん。その寒さを背負うということが、アキラにとって生きるということなんじゃ」

「背中が寒いまま生きるいうんは、つらいことよ。寂しいことよ、悲しゅうて、悔しいことよ」「アキラ、おまえはお母ちゃんがおらん。ほいでも、背中が寒うてかなわんときは、こげんして、みんなで温めてやる。おまえが風邪ひかんように、みんなで、背中を温めちゃる」。海雲和尚の台詞です。その後和尚の死も、描かれています。

もう一つ、とんびは男世界を主に描いていますが、ヤスを実弟のように世話する居酒屋「夕なぎ」のたえ子さんがいますが、彼女にも嫁ぎ先に残した女の子がいました。その子が結婚式の前に、夕なぎを訪れます。女の心情も、見事に綴られています。

私は10歳で父親を失い、母に育てられました。ヤスさんと逆ですが、同じように、どのように父親として息子に接したら良いのか見本を知りません。自分もヤスさんと同じ、ドジな父親だとあきれています。そしてアキラと同じように、沢山の人に背中を温めてもらいました。



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| 社長日記 | 09:49 AM | comments (0) | trackback (0) |
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