2014,05,09, Friday
相続に関する相談がありました。これから先、宅建業者(普通に言う不動産屋の法的呼称)の仕事は、相続関連の仕事が増えると言われています。私もそう考えて、「相続アドバイザー」などの資格取得をして備えています。しかしこの分野は、資格と言っても権威があるわけでもなく、経験がものを言う世界でもあります。法律・税務だけでは、解決になりません。
相続アドバイザー協議会の野口賢次副理事長は、「相続は譲ったものが勝つ」と言います。勝ち負けも本当はあるわけないのですが、心の問題として、譲った者が心のアンネを得ますよと言っています。分かっていることで、実に簡単なことですがこれが出来ないのです。 今抱えている別の相続案件では、姉妹が50年間言い争っています。こうなるともはや、2人だけの問題ではなくて、その伴侶や子供らの存在地位名誉まで引きずっています。実にやっかいなものですが、幼少期に受けたと主張する、親からの愛情の多少まで言及します。 このように50年に及ぶ積年の恨みは、本来なら氷解までまた50年はかかるのでしょうが、それでは時間が足りません。われらは「ガス抜き」と言っていますが、話を聞いて「そうですかそれは大変でしたね」を繰り返すことが、少なくても1年はかかります。 その間は、解決策など何も聞きません。とりあえず傾聴ですか。私も自分から話すことが多くて、人の話を聞きませんがまず真剣に聞くことが解決の早道です。自分の正当性を主張し、相手がどのくらいひどい人間かをとうとうと語ります。少なくても利他の心など、持ち合わせていません。 本日のケースは、嫁と姑の関係です。これも実によくあるケースで、どちらの意見も一理あります。相談者の姑をA子さんとします。A子さんは、私の家の近くで幼少期を過ごした、5歳くらい年上の女性です。最初の夫との間に長男次男の子供を授かりました。 次男さんは、私も知らないうち、早くに亡くなったそうです。私はその旦那様もよく存じあげていますが、なぜか離婚をされました。そしてAさんは関西へ出て、再婚をされたそうです。 離婚後に前夫が亡くなり、今度は長男が早世しました。その長男の7回命日(49日法要)で帰省したA子さんからの相談でした。A子さんは、再婚相手もなくし、再婚相手との間に子供はいません。天涯孤独であります。 相続問題と言うのは、われわれの立場からすると「相続財産分割問題」です。世によく言われる「相続対策」は、①分割②納税③節税の順番で、どうするかを事前に考えて手を打つことを言います。しかしほとんど全部の庶民は、相続対策など「わが家に限って揉めることはない」と何もしていません。 このA子さんの場合も、離婚再婚をしていますから通常は争いと関係ないケースです。しかし問題は、この長男一家(父親も生前同居)の住んでいた「家」がA子さんの名義のままでした。前夫との離婚の協議で、財産分与としてA子さんの名義に変更したようです。 長男の嫁B子さんからすれば、固定資産税も自分たちが払っているし、自分ら夫婦のものだという認識です。A子さんも、長男が存命であれば将来は長男に相続させると考えていたようですが、B子さんが一緒に住もうと言ってくれない。自分は現在の県営住宅で生涯を閉じるとなれば、老後の資金が欲しいと考える、これも一理あります。 A子さんは、「嫁(=B子さん)が、自身の母親と暮らすがA子さんの老後はみないと言ったという」のだが、B子さんと同席されたB子さんの実母はこれを共に強く否定した。しかし、A子さんが自宅を買い取れという考えを持っていると本人から聞いて、B子さんは失意のどん底にあるとの意見でした。 こんなこと聞きながら、私は自分の生い立ちを思い出していました。37歳で未亡人となった母は、その後夫が残した製麺業を継いで、必死に私ら兄妹を育ててくれました。家には夫の母親(祖母)と雌犬がいました。男は私だけでした。そこから私の馬鹿なほど陽気が、誕生したのかと考えています。 父親の死後2~3年で、祖母が家を出て、自身の親戚に頼み住み込みで働くようになりました。母と私と妹は、敵前逃亡者として祖母を恨みました。それから数年、頑張った母親は実家を立て直すと言い出しました。私は祖母を迎えに行きました。 その後しばらくはぎくしゃくしていましたが、96際で大往生した祖母は、「私の人生今が最高に幸せ」と言い続けて、夕食を食べて、風呂へ入ってあの世へ旅立ちました。それも私の不在が多い師走の、私が在宅の時でした。静かに旅立っていきました。 こんな話しを、なぜかそのB子さん親子にしていました。相続とは身近なものです。祖母の残したものは立派な仏壇だけでしたから、もちろん揉めることもありませんでした。今でもその仏壇に手を合わせています。 |