待望の新入会員が誕生しました。L塩田博志がスポンサーで、中井貴弘さんが第1239回例会で入会されました。少しだけの先輩として、心からおめでとうと言いたい。わが髙松栗林ライオンズクラブも、正会員が減少しています。高齢化や看護介護いろいろな理由がありますが、仲間が去ることは、実に寂しいことです。
その反面入会は、大変嬉しいものです。中井貴弘さんは、香川県中小企業家同友会高松第4支部で暫くご一緒したことがあります。その後私が次男に託して退会したもので、ここで合うのが久しぶりであります。山下先生も旧知の仲であります。
彼の仕事は、電気工事全般に及びますが、主に太陽光発電装置の設置をしているそうで、これも今では、「太陽光発電バブル」の感がします。工事業者も発注者も、何だか20年前のバブル経済を彷彿させる共通点があります。そういう意味では、ライオンズクラブなどの組織は、景気不景気業者のリトマス紙のような役割を持っています。
過去に大きな勢力であった、医師を含めた士業のメンバー。医者は今でも在席しますが、税理士・公認会計士・土地家屋調査士・建築士などはいなくなりました。弁護士も一人です。企業も、過去に隆盛であった銀行・証券・生命保険などの大企業の幹部も姿を消しました。
中小企業も言うまでもありませんが、それでもライオンズクラブは土地のリーダーがやはり中心となっているのは、今も昔も変わらないところです。そんな中でも高松栗林LCは、4Rの中で比較的元気なクラブです。
これで良いとは言い切れませんが、結成51年目の大きな節目は大過なく佐久間勝会長の舵取りで、難所を抜けて無事目的地へ着岸できるようです。いろいろな白波が立ちましたが、己の過ちと言うより、大きな組織からの圧力がとても強い1年でした。
荒波災害と言えば、今日は平成3年6月3日島原普賢岳が大噴火をした日です。23年前になりますが、クラブ幹事の私は、第4回高松冬のまつりに落ち込んでいる島原の小学生を招待するというとんでもない任務を帯びて、この年の9月平井大資先輩と島原へ行きました。
当時の浅田善太郎会長は、「費用負担は全部栗林LCがする」からと、私を励まして下さいました。当時の島原市長鐘ヶ江管一氏も、島原ライオンズクラブのメンバーでした。島原と高松栗林両ライオンズクラブがなした、大きなアクティビティーでした。今日はそういうメモリアルデーです。
この時招いた島原第4小の6年生も、今ではもう結婚したり出産したり。あの時の舞台から見た高松の灯は、その後の彼らの生きる勇気になったと私たちは信じています。その時の恩人一人が、島原LCの松尾錦二委員長でした。彼は退院して、仕事にライオンズ活動に復帰しています。
このようにライオンズクラブは、たまには良いこともします。ほんの少しですが、社会貢献も出来ていると思います。今年を含めた49周年・50周年・51周年の3年間がどうにかクリアー出来そうです。佐久間勝会長にお礼を申し述べて、中井貴弘氏の入会をお祝いします。どうぞ、ライオンズクラブライフを楽しんで下さい。