一昨年は、ここフィリピンの首都マニラへ来ました。ライオンズクラブ国際協会アジアオセアニアフォーラムに参加するためです。裏には武久一郎国際理事誕生をアピールするため、招致委員長、山地章靖336複合地区元ガバナー協議会議長(坂出白峰ライオンズクラブ所属)氏の声がけがありました。
山地氏の大活躍もあり、武久一郎国際理事が誕生し、彼はライオンズクラブ国際協会の舞台でめざましい活躍をされました。しかし今月21日に、地元徳島でお別れの会が行われました。国際理事にまでのぼれば、「一命を賭して邁進します」と挨拶では言いますが、死んでしまってはこれは想定外です。
当時マニラへ来たのも初めてのフィリッピンでしたが、ここセブマクタン島よりは裕福な様子でした。少なくても私には、そのように見えました。もっともマニラは首都ですから、それなりに開発が進んでいても当然ですが、むしろここセブマクタン島が遅れています。
今晩は日本食を食べに、ホテルを出てセブ島へ渡りました。私たちの居住しているここマリバゴ・ブルーウォータービーチリゾートは、マクタン島にあります。セブ島とここマクタン島を橋でつなぎ、セブマクタン島を構成しています。先のセブ空港も、セブ島では無くマクタン島にあります。
ホテルからタクシーで、30分ぐらい走ります。日本円で千円ぐらいです。ガソリン価格は、100円/ℓぐらいと表示されています。やはり運転手の労働賃金が安いのでしょうね。後進国のタクシーは、日本に比べて押し並べて安いです。日本のように、ホテル専用送迎バスの運航が、後進国では成り立たない構図です。
道路に信号機はありますが、赤で停止することはありません。道路に中央ラインはあるようですが、夜ですからほとんど見えません。地元の人は乗り合いバスのような乗用車を利用しています。乗用車と言うより、トラックを改良したようなものと、お考え下さい。
聞くと料金は、日本円で百円以下のように言われています。詳細は分かりません。危ないと思うことは度々ですが、運転手は落ち着いたものです。程なくして目的地に辿り着きます。日本人の経営のようです。「みやび」とか言いました。
豆腐以外は、日本と変わらない(許せる)味です。こちらの食で感じることですが、味噌がありません。ここ一番味噌のパワーは、有効です。湿気の関係でしょうか。勿論日本のようなダシもそこそこ、そのためか、味に深みがありません。こうして国外から日本を見ると、日本は何においても恵まれています。
さてこの後は、いよいよ待望のカオハガン島です。夕方にはカオハガン島へ、上陸しているはずです。ここフィリッピンでは、「SMART」という名のWi-Fiルーターで24時間通信が出来ています。これは私が国内で持ち歩いている機器ですが、これがカオハガン島ではこれまでように使えないと言われています。
ここまでは、セブマクタン島で書きました。この続きが書けますように、神にお祈りです。
ここからは、カオハガン島へ上陸した後に書いたものです。
ホテルからカオハガン島行きの船着場、「マリゴンドン・ポート」へ到着しました。この間道路工事の渋滞もあって、予定の30分から40分以上かかりました。ここまでは、想定範囲内です。しかし現場へ到着して、大変驚きました。還暦を過ぎてからあまり驚かなくなりましたがしかし、ここは尋常じゃありません。
大和が旧知の迎えもあり、この船に間違いは無いのですが、大和も今回から船着場が変わって、ここは初めてと言うことでした。まず乗船する前に2人とガイド役の彼女の3人でトイレへ行きます。ここへ来る道中もそうでしたが、ここら当たりの住宅や商店は、日本の戦前のいでたちです。私の記憶に無い風景と思って下さい。
電気はあるようですが、およそ衛生的ではありません。それでも住民は、十分生活をしています。先のトイレですが、小便器は2つあっても、1つは壊れていて使えません。それでも2人は用を足しました。彼女がおつりをもらっていました。有料トイレのようです。
身も心も綺麗にし、安心して乗船することになりました。その他の乗客はもう既に、みなさんは乗っています。しかしここからが問題です。波が高くなって来て、この場所からは乗れそうにもありません。乗務員(というほど格好の良い者ではありませんが勇猛です)が、身体を呈してもっと安易に乗れる乗船の場所へ船を移動します。
湯川が復路は波をかぶって大変だと言っていたのに、往路の序盤からこの調子だと約束が違う。ここは彼ら乗務員の海へ飛び込んでの活躍で、どうにか出港にこぎ着けました。ここも遠浅なのか、荷物の移動、乗客の移動をしてどうにか外洋へ出ました。
しかしここからも大変でした。瀬戸内海では停船命令のような高波の中、小さな船はカオハガン島を目指します。ここでは冷たい雨と、暖かな波をかぶって、悪酔いしそうな風雨です。私がただ1度船酔いをした、沖縄の海よりひどい状況です。幼子2人は、母親にへばりついて顔も上げません。
最短で30分、悪くて60分と聞いていましたから、命をかけた戦いにはならないとは思いましたが、やはり外洋は荒れます。ところが30分近く行ったところから、急に波が収まり、それを合図に乗客も前へ移動します。そうなのです、珊瑚礁の中に入って、後ろのスクリューが珊瑚礁に当たるとこれまた問題が発生します。
後ろを上げるために、大勢が前へ移動します。船の大きさは、鳴門あたりの釣り船の比ではありません。15人程度が両方に分かれて詰め合わせて座るほどの大きさです。また船には、転覆防止の腕のような簡単な仕掛けもついています。
そして上陸です。何と湯川の言葉通り、確かに海の中に入って、海の中を歩いて上陸です。トランクは若者が運んでくれます。桟橋などは、全く存在しません。島の反対側は深い海だと聞いています。そこにはそうした桟橋などもあるのかも知れません。命からがらのカオハガン島上陸物語でした。