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何もなくて豊かな島カオハガン島
日にちがずれているようにも思います。勿論日本との時差はありますが、日にちを間違えるほどの距離ではありません。今日は7月29日火曜日です(本当は30日水曜日)。とにかく日記をアップできたことに感謝です。これでも水面下の白鳥のように、バタバタと居場所や方法を模索していました。

Wi-Fiの電波が弱くて、島のあちらこちらへ移動して、フォックスハンティングをしているような状態です。しかし初心者の私には、的確な場所が分からず香織さんの言うままに、母屋前の木の麓で昨日の第一報をつなぎました。現地時間昨日の6時前のことです。かろうじて繋がりました。

しかしその後はトラブル続きで、写真が上がったのは昼過ぎでした。上陸時の艱難辛苦(ちょっとオーバーでした)の写真を掲載しようと考えましたが、一番の難所に差し掛かったときの写真はありませんでした。それはそうです、捕まっているのが精一杯で、写真撮影の余裕はありませんでした。

瀬戸内海では、当然停船命令が出ています。鳴門でもこれほどの波は知りません。以前書いたように、沖縄の峩洋はこんなものでした。これが当たり前のように、小さな船は出ていきます。レーダーもありません。瀬戸内海では遊漁船も機械武装しています。何でもありません、釣り客がそれを求めるからです。

カメラは水中カメラですから、大波をかぶっても問題はありません。しかし私の腕では、そう劇的な映像は望むべきもありません。それでも4枚ほどアップしました。しかしこれにも時間がかかりました。電波が切れ切れです。おまけにパソコンの電池も、残量が多くありません。

カオハガン島で電気が使えるのは、17時から23時までの6時間だけです。昼間は使用が出来ません。自家発電装置ですから、島民エリアも含めて23時までの使用です。それでも島民エリアに実に立派な家があり、中を見せてもらいました。何とカラオケ機械がありました。一曲2ペソだそうです。

島民の生活も改善が見られると、訪問9回目の大和が言います。島民エリアとゲストエリアははっきり分かれています。境界線とかゲートがあるわけではないのですが、暗黙の了解で小学校を挟んで分かれています。崎山克彦さんの20年にわたる指導で、住民の意識は貧困からの脱出魂は一歩も二歩も上がっています。

小学校は2年生まででしたが、崎山克彦氏らの努力で今は6年生までここで勉強します。それから、隣の島の中学校へ、高校はその先のセブ島のようです。島民の子沢山は、5人が普通です。小学校の卒業もままならなかったカオハガン島の子らは、高校から大学までまだ多くはありませんが進学する者が出ています。貧困からの脱却は意識改革ですが、その方法の1つが高等教育だと私も思います。

島内宿泊のゲストも、徐々に増えています。日本からのリピート客がほとんどですが、台湾・韓国・中国と、翻訳本が出たり、DVDの普及も確かに効果があるようです。カオハガンキルトの内外展示販売会も、日本各地やアメリカで開催されています。しかし開催が増えると頭の痛い問題も山積します。

キルトは、島民が3ヶ月ぐらい掛けて大きいものを作ります。展示会用で、仮に50枚売る計画を立てると、80枚ほどの大型キルトの用意がいります。この80枚は、ここを運営する組織が先買いします。そうして島民の生活を守っているわけです。何とも涙ぐましい、原理原則に沿った運営がなされています。

崎山克彦氏の方針書には、「カオハガン・(ゲスト)ハウス」を運営する目的は、カオハガン島民の暮らしを、将来に向かって持続的に、安定、向上させ、そして、「自立」につなげることです。だから宿泊費も、決して安くはありません。稲盛和夫塾長の「値決めは経営」が崎山夫婦にはすでに浸透しています。

具体的には、島民の働く職場を創造し、仕事の技術を学んでもらいたい。そしてそこからの利益を、本来は「社会的共通資本」であるべき島民の福祉、衛生、医療や教育などのために使いたいと言うことです、と力強く宣言しています。この活動を、自分がこの島の所有者となってからの20年間、営々と続けています。

本日はフィリッピン国の祝日で、ここの学校も休みです。明日図書館へ行き、髙松栗林ライオンズクラブが結成50周年記念アクティビティーで寄贈した図書を見てきます。この記事が無事アップできますように、お祈りして本日の原稿は終わりにします。繋がるか繋がらないかのせめぎ合いをしてます。

追伸。24日から、先に来ている山崎さんはこれまで朝日も夕日も見られていないとのことです。ここカオハガン島も気候変動がおこっているのかも知れません。涼しい、窓を少し閉めないと風邪をひきそうです。長袖が役に立っています。ここコテージは風の抜け道があるようです。



すっかりカオハガン島に馴染んでしまいました。夜は23時に消灯になります。ここカオハガンには、古馬場もパパラギもありません。心静かに本を読んで、寝付くだけです。手元にガラパ系携帯電話と、ベッドライトを置いて。こんな不自由な生活にも慣れました。

本日はゲスト全員で、シュノーケリングに行くという計画にしています。昼から雨の予報で、10時から行きますが、その前に図書館へ行かねばなりません。9時から図書館へと言われています。塩爺が作ってくれた「横断幕」を用意してきました。

小学校の先生も参加し、日本からのゲスト(一般宿泊客をここではゲストと呼びます)も加わり、記念撮影です。カオハガン島の子供は、授業中です。決してこのような席に呼んではなりませぬ。それにしても先生が加わってくれたのは、大感謝です。図書は本当に、喜んでくれているようです。

崎山さんによれば、髙松栗林ライオンズクラブからの寄贈図書を選んで下さった女性が、来年にはこの小学校に赴任するやも知れないと言うことです。「こんなに小学生がいたら、中学校を作ったら」と私が進言したのですが、崎山さんは言葉を濁しました。ここには村長をはじめ、議員が7人いるそうです。

失礼な言い方で申し訳ありませんが、私の居住する香川県下に限り「貧乏人の子だくさん」という表現があります。ここカオハガン島で、適切な表現かどうか疑わしいのですが、就学前のちびっ子がまだ多くいます。数の力から言うと、中学校が出来ても不思議はありません。

ここでシュノーケリングの話しに、話題は飛びます。私は海は釣りぐらいで、泳ぎやましてやシュノーケリングなどしたことがありません。しかし還暦組は、いつやるの「今でしょう」しか考えていません。果敢に挑戦するも、予定通り不様な格好をさらけ出しましたが、これは自分の中の想定内です。

マスクをしても、上手く息継ぎが出来ません。「あ・い・う」の順にホースを口に含み息をするのですが、「おえー」が来てしまいました。私は口にものを入れたら、ケースバイケースですが「おえー」となってしまうときがあります。還暦を過ぎてもそのメカニズムは分かりません。歯を磨いていても、突然「おえー」が来てしまうことがあります。

一番困るのは歯科医での治療中です。これも口を開けて、器具を入れていると「おえー」が来ます。毎回そうかというと、なるときとならないときがあります。このメカニズムも分からぬまま、この先の老体との付き合いです。シュノーケリングが楽しくなれば、これも納まるのかな。まずは洗礼を受けました。

ゲスト8人に、崎山さんをはじめ7人のスタッフがついてくれています。流れが速く、とても私のイメージしていたシュノーケリングとはほど遠いものになりました。それでも持参の水中カメラが活躍してくれました。私も海の中の体験をしました。沢山の魚が泳いでいます。これはどこでも同じですね。

それを早々に終えて、私は船の上であれこれ指導をしていました。撮影はゲスト仲間が協力してくれています。藤本海君は、フラッシュがたかれると泡のような気泡が画面に入ることに気がつき、海の中で船から延びた竹に捕まりながらフラッシュを止めたようです。

そして本日の圧巻は、昼3時ぐらいからの大音量です。島民エリアから流れてきているのは分かりました。暫くしてそこへ大和が来ました。夕食の誘いには間があるなと思いました。「誕生パーティーをやっているから松野も来ないか」という誘いです。「早く言え、いくいく」。そこには絶対に見られない、島民の姿がありました。

写真のように老若男女躍ったり飲んだり、大騒ぎです。結局この騒ぎから夕食が始まるからと逃げ出したのですが、私は2時間この雰囲気を堪能しましたが、彼らは夜の10時頃までやっていました。途中で偶然ですが、私の前を左右に這っている電線の結線テープがはがれそうになっているのを発見してしまいました。

指摘していると、前に座っていた島民の椅子の足先でそれを切ってしまいました。私が「これ危ないな」と言わなければよかったのですが、言ってしまったがために彼が意識しすぎたのです。大音響が停まりました。やがてニッパーをもっと専門家(なわけないけど)が修理に来ました。

「日本人は賢い」と島民から言われました。この程度の作業であれば日本人は誰でも出来ます。直流ですから一本を触っている分には、ビリビリもありません。動画にも撮りましたが、これが島民のそれも貧しい漁民(昼食などで島を訪れる観光客相手に商売をする人らはもう少し裕福)の、身近な娯楽を見ました。

夜中近くの23時頃、藤本兄弟はマクタン島へ渡ります。ここから直線距離で30分。船の速度が遅いですから、距離にしたら高松港から、女木男木島程度かも知れません。潮の関係でカオハガン島から廻ると、1時間かかります。夜でも彼らは、レーダーも何もないところを平気で航行します。生きている人らがここには大勢います。













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| 社長日記 | 07:59 AM | comments (0) | trackback (0) |
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