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キューポラのある町埼玉県川口市
先のまちづくりセミナーに、川口市から集団が参加していました。行政と、商工会関係者でしたが、行政の中心人物は、粟津貴史さん、まだ若いパワーのある人でした。名刺を拝見すると、「川口市技監兼都市計画部長」とありました。国土交通省からの出向ですね。

粟津さんの関係か、都市計画部からの行政マンが多かったのですが、それが妙に熱心なのです。川口市と言えば、荒川の入口で「川口」と名付けられ、江戸時代、代々の将軍が利用した、日光東照宮への参詣として栄えた日光御成道沿道地。川口宿や鳩ヶ谷宿は、往来する旅人であふれかえったと言います。

また川口と言えば、鋳物の町で、標題の映画が1962(昭和37)年に公開されると、吉永小百合(当時17歳)主演と言うことも手伝って、大ブームになりました。小学生だった私も観ました。その2年後に、国立競技場の聖火台もここ川口で作られた物です。

名鋳物師(いもじ)・鈴木萬之助と文吾親子が、命を削って作り上げた作品です。開会式が目の前に迫った中で、大手が尻込みするところへ彼ら親子に白羽の矢が立ったのです。ところが期待に反して、湯入れに失敗して最初の聖火台は鋳造ならず。失敗を苦にした萬之助氏は、8日後に亡くなってしまいます。

それをやり遂げたのが、息子の文吾氏でした。納品まで1ヶ月を切った、文字通り切羽詰まった完成でした。国立競技場で50年聖火を灯し続けた聖火台は、国立競技場から復興の象徴として被災地石巻の公園に設置されると聞いています。また失敗作の1基目の聖火台も、修復されて今は川口市内の青木町公園にあるそうです。

川口と言えば鋳物の町、私も大学生の時、産業心理学中野渡ゼミで、工場で寝食を共にしたことがありました。午後から砂や土で型を作り、翌朝4時くらいから、1,500度で溶けた鉄、これを「湯」と呼んでいましたが、湯を柄杓(ひしゃく)で運んで型の隙間へ入れます。真冬でも、職人さんは半袖のシャツ一枚でした。

川口市は埼玉県下でも都心に一番近く、15㎞圏内です。ベットタウン化が先に進んだ千葉より近いのです。1970年代の後半のオイルショック以降、工場閉鎖が続きました。武蔵小杉の例を持ち出すまでもなく、工場跡地に高層マンションが建っています。まだまだ建つでしょう。

イベントもまちづくりも順風満帆ですが、私は唯一「オートレース場」の存在が心配です。オートレースは公営ギャンブルですが、ここ川口と福岡県飯塚にあるそうです。ボートレースや競輪・競馬と色々公営ギャンブルがありますが、もはや任務を終えたと思います。

これまでは行政の貴重なドル箱でしたが、やがては逆にまちづくりの障害となりかねない、そんな危惧を感じます。黒字の今こそ、次の一手のインフラ整備を川口市は考えておかないと。そうそう2020年の東京五輪の聖火台制作も、既に手を挙げているそうです。良いですねナイスです。


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| 社長日記 | 09:49 AM | comments (0) | trackback (0) |
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