皇紀2675年・西暦2015年・平成27年・昭和90年・大正104年・明治148年の奉祝香川県民の集いが、本日昼からアルファあなぶき県民ホールの小ホールで開催されました。この催しはもう何年か、黙々と続いています。参加者は、毎年増えているように思います。その証拠に会場が、毎年大きくなっています。
国歌斉唱、橿原神社遙拝(二拝二拍手一拝)、会長挨拶と次第は進んでいきますが、木村大三郎会長の具合が気になりました。もともと私が知り合った30年前頃には、大病で九死に一生を得たと話されていましたが、今日は杖をつき、剃髪で痩せたように見えました。
式辞も途中で詰まる場面も散見されて、私は心配です。来賓挨拶は、衆参議員からはじまり、浜田恵造香川県知事、大西秀人高松市長へと続きます。本人だけの祝辞です。代読は、今の時代、聞く方が許しません。
好印象だったのは、奉唱歌高松第一高等学校合唱部の歌です。香川県民歌もあるのですね。一高は3度目の登壇だと指導者の弁ですから、以前にも聞いているのでしょうね。しかし残念ながら、記憶に一切ありません。
3部の記念講演は、フリーアナウンサー山根基世さんの「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国へ」。講演時間は90分でしたが、11月からの風邪で、随分苦しそうでした。高松生まれの、元NHKアナウンサーです。昭和23年生まれですから、団塊の世代の1人です。
フリー百科事典ウイキペディアでは、フリーアナウンサー山根基世さんは次のように紹介されています。
2005年6月の人事異動で、NHK初の女性アナウンス室長に就任。さらに管理職経験がない中での大抜擢だった。室長時代は女性アナの地方異動の増加、インタビュー番組の作成、アナウンサーを海外支局や解説委員への異動の仕組み作り、子どもへのことば教育を行うなどの取り組みを行った。同年、『第56回NHK紅白歌合戦』の司会を務めた。
アナウンス室長経験者は、NHK放送研修センター・日本語センターに移動しセンター責任者を務めることが慣例化しているが、山根はアナウンス業にこだわり、元アナウンサー仲間の広瀬修子(現跡見学園女子大学教授)、宮本隆治(2007年3月いっぱいで退職)らとともに、退職翌月に「ことばの杜」を立ち上げた[5]。以後、フリーランスの立場で活動している。
氏の話の後半で語られた文筆家・雫石とみさんの話しは、感動物語でした。NHKEテレ特集ですが、「21世紀の日本人へ」「書かなければ生きられなかった」。
戦争で全てを奪われ、天涯孤独の身で日雇い労働者として働きながら65歳で発表した処女作「広野に叫ぶ声」で、女性収容施設での生活を赤裸々に告白。
(昭和30年頃に売春防止の目的で創設された)女性収容施設では常に上から目線で虐待に合い、人間扱いされず、職員のいぬまに悪口を言うと告げ口をされ、激しく折檻される日々。
喋ることは、一口でも異を唱えると人間として扱いがされません。それで彼女は、小学校も満足に行ってなくて書くことが得意でもないのですが、45歳からひらがなで日記を書き始めます。
第三者と喋れないので、せめて書くことで自らのアイデンティティーを保つことのバランスを図ります。それが65歳の処女作に繋がっていきます。言葉の代わりに、「日記を書くことで、自分は人間でいられた」。
その後自宅を売却した2800万円の私財を投じて、「銀の雫文芸賞」を創設して書くことが人間としての誇りに繋がると。毎日、それでも日記を書いている私とは、雲泥の気づき方の差です。私は、自己主張をしているに過ぎないのです。