2015,02,28, Saturday
今年になって、はや2ヶ月が過ぎようとしています。光陰矢のごとしと言いますが、本当に早いですね。本年初の塾長例会は、今月9日に名古屋で開催されましたが、宅建四国懇話会と重なって、泣く泣く名古屋をキャンセルして高知へ行きました。
それでもって私にとっては、今年初の塾長例会です。会場は台湾の台北市です。今回の台北は、開港25周年で新しく空港ビルを増築した高松空港から行きたくて、フライトの関係で、前日入りの後泊付きになりました。高くつきましたが成田や関西空港にしても、明日の早朝便ですから、やはり前泊となります。 期待の高松空港へは、規定通り2時間前に到着しました。家族の誰も送ってくれず、申し訳ありませんが、「あかねちゃん」にお願いしました。自宅から15分の高松空港は、国内便は30分前に空港ビルへ入ります。今週は、これで3回目の利用です。 今日は2日締めきりの報告書に頭を悩ませて、早めに空港入りして原稿を書きました。ガキのようですが、PCに集中していると、乗り遅れることもあり得ます。空港では、宿泊以外いろいろな経験をしている私です。 ところで国際線待合に、懐かしい佃英夫さんの顔がありました。私も空港から15分というと、「そんなに近いの(田舎なの)」と揶揄されますが、佃さんは空港から5分です。今日は息子さん夫婦と、娘さん夫婦に囲まれて、久しぶりの台湾だと笑っていました。佃さんは、いつも笑っています。 佃さんは、少年飛行兵の整備担当として、台湾の南の町でお国のために働いていたとのことです。70年前の話しで若干17歳、小欄にもよく登場する久保喜治さんも少年飛行兵です。太平洋戦争を知る人も、少なくなりました。知っていなければならない、日本人の歴史です。 過去に佃さんには仕事上のことで大変お世話になり、その10年後に、図らずもその仕事の延長上で裁判になり、コートを挟んで向こうとこちらになりましたが、その時も佃さんは今日のように坦々としていました。法廷ですから笑ってはいませんでしたが、いつもの佃さんでした。 あれからまた、10年ぐらい経過しましたか。最近佃さんのハウスの前を、行き来することがありました。私は今でも、佃さんを目で追っていました。ハウスの中で佃さんは、奥さんと二人三脚。残念ながら最近は、お見かけすることはありませんでした。 佃さんとは、桃園空港で別れました。佃さんらには、ガイドがついていました。私はタクシーで、グランドハイアット台北(台北君悦大飯店)へ入ります。そうそう入国審査で、滞在ホテルの記載がないと注意をされました。カタカナで書くと、許して貰えません。漢字か、英語表記が求められます。 だから入国審査は男性を選ぶようにしているのですが、よく女性公務員にでく会わします。だめ出しは女性係官が多いのですが、最近は窓口女性が多くなりました。桃園空港の入国審査では、両手の指紋検証も求められました。私は思うのですが、マイナンバーカードには、指紋もDNAも入れたら良いと思います。 パスポートには、そのマイナンバーデーターを踏襲します。インシュリン摂取者であれば、そのデーターも入れて、まさかの時の資料に活用します。個人情報の漏洩を心配するのか、自分の健康や安全安心を守る手段とするのか。日本人のパスポートは世界一正確か、世界一愚かか。しばらく台湾からのレポートが続きます。 |